2018年10月23日火曜日

怨みに怨みを返しても、怨みはなくならない。耐え忍べ:ブッダの教え

・実にこの世においては、およそ怨みに報いるに怨みを以てせば、ついに怨みの息(や)むことがない。耐え忍ぶことによって、怨みは息む。

これは永遠の真理である。(14-11)

・怨みは怨みによっては決して静まらないであろう。怨みの状態は、怨みの無いことによって静まるであろう。
怨みにつれて次々と現れることは、ためにならぬということが認められる。

それ故にことわりを知る人は、怨みをつくらない。(14-2)

・もしもつねに正しくこの世を歩んでいくときに、明敏な同伴者を得ることができたならば、あらゆる危険困難に打ち勝つ。こころ喜び念(おも)いをおちつけて、ともに歩め。(14-13)

・旅に出て、もしも自分にひとしい者と出会わなかったら、むしろきっぱりと独りで歩め。愚かな者を同伴(みちずれ)にしてはならぬ。(14-15)

<「ブッダの感興のことば」第14章 憎しみ 205貢>



ここに取り上げた句の中には、幾つかの疑問がわく。

「それ故にことわりを知る人は、怨みをつくらない。」とは、「怨みに想うな」ということか?それとも、「怨みを抱かれないように気をつけろ」ということか?


「明敏な同伴者」とは誰か。ブッダ自身のことか?
我(ブッダ)のみを同伴者とせよ、という意味か。

「自分にひとしい者」とは、誰か?
これも、ブッダのことを言っているのか?



上にあげたような疑問がわくのであるが、どちらにせよ、ここで述べられていることは、十分に耳を傾けるに値する。

また、「耳が痛い」という読者も、少なからずいることであろう。私も同類である。

「永遠の真理である」というのは、よく解るが。他になすすべがない、という時もある。我々は、凡人なのだ。

もちろん、だから、ブッダにすれば、「耐え忍べ」と教えているのであろう、が。

(2018年10月23日)