<「ブッダの感興のことば」第13章 尊重。尊重、とは≪唯一の真理(=ブッダの教え)≫のことを言っているのだと思います。それを一心に念じて修行せよ、
ということでしょう。
★
「在家の人々も出家した修行者たちもつねにわたくしのことを知れ。およそなすべきことなすべからざることについては、わたしの意に従え」--愚かな者はこのように思う。こつして欲求と高慢(たかぶり)とが高まるのである。
利益を得るよすがは、ニルバァーナにいたる道とは異なっている。
ブッダの弟子は、つねにこのことわりを如実に知って、栄誉を喜ぶな。
孤独の境地にはげめ。
いかなることにもあくせくするな。
他人の従者となるな。
他人に依存して生活するな。
法による商人として暮らすな。(ここまで、13-4~7)
(托鉢によって)自分の得たものを軽んじてはならない。
他人の得たものを羨むな。
他人を羨む修行僧らは、心の統一安定を得ることができない。(13-8)
もしも楽しく生きようと欲くするならば、修行者のつとめに注視して、蛇が鼠の隠れている穴に近づくように、臥処(ふしど)をさがして実践せよ。(13-9)
もしも楽しく生きようと欲くするならば、修行者のつとめに注視して、互いに満足せよ。唯一の真理(=ブッダに教え)を念じて修行せよ。(13-10)
★
ニルバァーナとは、涅槃のことです。煩悩を滅尽して悟りの智慧を完成した境地のこと(wiki)です。
出家すること、は、厳しい道を選ぶことにほかなりません。現在の日本のお坊さんのように、「自由気まま」にふるまうことなど、有り得ないことです。
そういう意味においては、今日の日本の仏教は、もはや「仏教」とは呼ぶことが出来ないものになっています。似ているようですが、全くのべつもの、です。
そのように考えるならば、お坊さんが「事業を起こす」などということも、許される事なのでしょう。
(2018年10月20日)
ということでしょう。
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「在家の人々も出家した修行者たちもつねにわたくしのことを知れ。およそなすべきことなすべからざることについては、わたしの意に従え」--愚かな者はこのように思う。こつして欲求と高慢(たかぶり)とが高まるのである。
利益を得るよすがは、ニルバァーナにいたる道とは異なっている。
ブッダの弟子は、つねにこのことわりを如実に知って、栄誉を喜ぶな。
孤独の境地にはげめ。
いかなることにもあくせくするな。
他人の従者となるな。
他人に依存して生活するな。
法による商人として暮らすな。(ここまで、13-4~7)
(托鉢によって)自分の得たものを軽んじてはならない。
他人の得たものを羨むな。
他人を羨む修行僧らは、心の統一安定を得ることができない。(13-8)
もしも楽しく生きようと欲くするならば、修行者のつとめに注視して、蛇が鼠の隠れている穴に近づくように、臥処(ふしど)をさがして実践せよ。(13-9)
もしも楽しく生きようと欲くするならば、修行者のつとめに注視して、互いに満足せよ。唯一の真理(=ブッダに教え)を念じて修行せよ。(13-10)
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ニルバァーナとは、涅槃のことです。煩悩を滅尽して悟りの智慧を完成した境地のこと(wiki)です。
出家すること、は、厳しい道を選ぶことにほかなりません。現在の日本のお坊さんのように、「自由気まま」にふるまうことなど、有り得ないことです。
そういう意味においては、今日の日本の仏教は、もはや「仏教」とは呼ぶことが出来ないものになっています。似ているようですが、全くのべつもの、です。
そのように考えるならば、お坊さんが「事業を起こす」などということも、許される事なのでしょう。
(2018年10月20日)