2018年10月16日火曜日

<「ブッダの感興のことば」 第11章 道の人>

<「ブッダの感興のことば」 第11章 道の人>出家して頭を剃っても、戒めをまもらず、人々を騙し偽りを語る人は、<道の人>ではない。このようにブッダは説きます。

この回は、多くの句を集めました。少し長くなります。



勇敢に流れを断て。諸の欲望をきっぱりと去れ。諸の欲望を捨てなければ、聖者は一体に達する事ができない。(11-1)

出家の生活は、困難であり、それを楽しむことは難しい。(世俗の)家に住むのも、耐え難いことである。心を同じくしない人びとと共に住むのも、苦しいことである。迷いの生存を重ねることは苦しみである。(11-8)

袈裟を頸から纏っていても、性質(たち)が悪く、つつしみのない者が多い。かれら悪人はふるまいによって死後には悪いところ(地獄)に生まれる。(11-9)

この極めて性(たち)の悪い人は、仇敵がかれの不幸を望むとおりのことを自分に対してなす。あたかも蔦草が羅紗の木にまといつくようなものである。(11-10)

頭髪が白くなったからとて<長老>なのではない。ただ年をとっただけならば、「ばかになって老いぼれた人」と言われる。(11-12)

頭を剃ったからとて、身をつつしまず、偽りを語る人は、<道の人>ではない。
欲望と貪りにみちている人が、どうして<道の人>であろうか?(11-13)

大きかろうと小さかろうとも悪をすべてとどめた人は、諸の悪を静め滅ぼしたのであるから、<道の人>と呼ばれる。(11-14)

この世では悪を取り除いたので〈バラモン〉と呼ばれ、不吉なことが静かにやすまっているので<道の人>と呼ばれ、おのれの汚れを除いたので<出家者>と呼ばれる。(11-15)



現在の日本を見渡してみると「袈裟を頸から纏っていても、性質が悪く、つつしみのない」出家者が何と多いことか。目を覆わんばかりの状況にあります。

昨日も、NHKニュースが、京都の僧侶らの会社 電力小売り事業に参入へ 檀家減少が背景に」という記事を載せました。

いくら生活が苦しくとも戒律をまもるのが、出家者の勤めです。が、日本の仏教は現在ではこの戒律をすべて取り去ってしまったので、<したい放題>です。これでは、世俗にいるのと変わりがありません。


結婚はする、お酒は飲む、食事の制限は無く、生き物でもなんでも口にする。お寺を華美な物にすることに血道をあげ、高級車を乗り回す。


これで精神修養が出来るとは、とても思えません。欲望を断ち切る、などという生活とは、およそ次元が違いすぎます。


ブッダが今の日本に舞い降りたなら、腰を抜かすことでしょう。




なお、<道の人>とは、いかなる者であるのか、については、次章で詳しく説かれています。

(2018年10月16日)