<「ブッダの感興のことば」第12章 道>四帝、八聖道(八正道)こそが、人を救う道である、とブッダは、言います。
★
明らかな知慧によって四つの尊い真理を見るときに、この人は迷える生存の妄執を破り嶊(くだ)く道を明らかに知る。(11-1)
諸の道のうちでは<八つの部分よりなる正しい道>が最もすぐれている。
真理について言えば<四つの尊い真理>(=四帝)が最もすぐれている。
諸の徳のうちでは<情欲を離れること>が最もすぐれている。
諸の人々のうちでは「眼(まなこ)ある人(=ブッダ)が最もすぐれている。(12-4)
「一切の形成されたものは無常である」(諸行無常)と明かな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそが人が清らかになる道である。(12-5)
★
「一切の形成されたものは苦しみである」(一切皆苦)=12-6、
「一切の形成されたものは空である」=12-7、
「一切の事物は我ならざるものである」(諸法非我)=12-8、と
続きますが、
それに続くのは、く赤い文字で示した部分」の繰り返しなので、省略します。
四帝とは、「苦、集、滅、道」です。
八聖道(八正道)は、
正しい見解
” 思い
” ことば
” 行為
” 生活
” 努力
” 気づかい
” 心の落ち着き
を言います。(中村元博士の解説によるもの)
★
これらの中で「一切の形成されたものは空である」という句は、<空論>と言われ、それを理解するのは、最も困難を要する、と言われています。
言うまでもなく、<空>を、から、と読むことは、誤りです。<そら>と読むのは、論外です。
空、とは、般若心経に出て来る、いわゆる<色即是空、空即是色>、のことです。
これは、<無>のことではありません。何も無い、と受け取る事は、誤りです。
<この世の一切が空である。しかもその空から、この世の一切が生まれる>というのが、<色即是空、空即是色>です。
この空論を理解できたなら、仏教に関しては「免許皆伝」を受けたことになるのだ、と小室直樹は、言います。
そして、小室直樹は、この点に関して、中村 元(はじめ)博士の、空論を理解する上での貢献は、瞠目すべきものがある、と言っています。
尚、この章は長いので、二回に分けて投稿します。
(2018年10月17日)
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明らかな知慧によって四つの尊い真理を見るときに、この人は迷える生存の妄執を破り嶊(くだ)く道を明らかに知る。(11-1)
諸の道のうちでは<八つの部分よりなる正しい道>が最もすぐれている。
真理について言えば<四つの尊い真理>(=四帝)が最もすぐれている。
諸の徳のうちでは<情欲を離れること>が最もすぐれている。
諸の人々のうちでは「眼(まなこ)ある人(=ブッダ)が最もすぐれている。(12-4)
「一切の形成されたものは無常である」(諸行無常)と明かな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそが人が清らかになる道である。(12-5)
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「一切の形成されたものは苦しみである」(一切皆苦)=12-6、
「一切の形成されたものは空である」=12-7、
「一切の事物は我ならざるものである」(諸法非我)=12-8、と
続きますが、
それに続くのは、く赤い文字で示した部分」の繰り返しなので、省略します。
四帝とは、「苦、集、滅、道」です。
八聖道(八正道)は、
正しい見解
” 思い
” ことば
” 行為
” 生活
” 努力
” 気づかい
” 心の落ち着き
を言います。(中村元博士の解説によるもの)
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これらの中で「一切の形成されたものは空である」という句は、<空論>と言われ、それを理解するのは、最も困難を要する、と言われています。
言うまでもなく、<空>を、から、と読むことは、誤りです。<そら>と読むのは、論外です。
空、とは、般若心経に出て来る、いわゆる<色即是空、空即是色>、のことです。
これは、<無>のことではありません。何も無い、と受け取る事は、誤りです。
<この世の一切が空である。しかもその空から、この世の一切が生まれる>というのが、<色即是空、空即是色>です。
この空論を理解できたなら、仏教に関しては「免許皆伝」を受けたことになるのだ、と小室直樹は、言います。
そして、小室直樹は、この点に関して、中村 元(はじめ)博士の、空論を理解する上での貢献は、瞠目すべきものがある、と言っています。
尚、この章は長いので、二回に分けて投稿します。
(2018年10月17日)