2018年10月5日金曜日

「ブッダの感興のことば」 第5章 愛するもの

<「ブッダの感興のことば」 第5章 愛するもの>です。自分を愛しいものだと知るならば、よく心がけて自己をまもるべきである、説いています。



・もしも自分を愛しいものだと知るならば、自分を悪と結びつけてはならない。
善いことはを実行する人が、楽しみを得るということは、いともたやすいからである。
(5-14)

・もしも自分を愛しいものだと知るならば、よく心がけて自己をまもるべきである。
 --辺境にある城壁に囲まれた都市が堅固に奥深く堀をめぐらされているように。
賢い人は、夜の三つの区分のうちの一つだけでも、つつしんで目ざめて居るべきである。
(5-15)

・どの方向に心でさがしもとめてみても、自分よりさらに愛しいものをどこにも見出さなかった。
そのように他人にとってもそれぞれの自己がいとしいのである。
それ故に自分のために他人を害してはならない。(5-18)

≪「ブッダの感興のことば」 (愛するもの)の章より≫



14の句の前では、「もしも自分を愛しいものだと知るならば、自分を悪と結びつけてはならない。悪い事をする人が楽しみを得るということは容易ではないからである。」と説いています。

まことに理に適った道理を説いています。
「悪いことをして、気持ちが良かった」と思える人がもしも、いたとするなら、その人は一度病院に行って診察を受けるべきでありましょう。

反対に善いこと、をしたならば、たとえ誰から称賛されることがなくとも、良い気分に成る事ができる事でありましょう。

善悪の判断基準は、人それぞれでも、-ー常識的に判断してーー「善い」と思えることを実行するのは、人としての最も尊いことです。

しかし、それが他の人を害することになるのであれば、よくよく考慮したうえで、行う必要があります。そして、それは、難しい判断を求められることになります。

それでも、より善い、と思える道を選択することが重要でしょう。


自宅の書斎の中村元博士


なお、「夜の三つの区分」ということに関しては、訳者の中村博士は「古代インドでは、夜は、三つに区切られて考えられていた」と解説しておられます。

それを人生に引き伸ばして考える。いわゆる人生三分論、ということですが、長くなるので、これぐらいで止めます。

(2018年10月5日)

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