2018年10月1日月曜日

「ブッダの感興のことば」 第2章 愛欲

<「ブッダの感興のことば」 第2章 愛欲> です。
欲望、を満足させること。これには二通りの仕方があります。一つは、物質的な欲望(身体)を満たすこと。もう一つは、精神的な欲望(心)を満たすこと。
ブッダは、この事についてどのように説くのでしょう。



諸(もろもろ)の欲望にしたがっているあいだは、心が満足を得る事がなかった。
しかし欲望から退き、休止することを反省してみて、明らかな知慧によって満足した人々は、実に満足しているのである。(2-13)

欲望によっては満足する事がないから、明らかな知慧をもって、満足するほうが勝(すぐ)れている。明らかな知慧をもって、満足した人を愛執が支配する事は出来ない。(2-14)

たとい貨幣の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない。
賢者は、「欲望は快楽の味が短い」と知れ。(2-17)

(「ブッダの感興のことば」第2章 168貢)



ブッダは、明確に「物質的な欲望を満たすことより、精神的な欲望を満たすこと」の方が優れている、と説きます。

何よりも、「知慧」を優先させます。




中村天風は、あるとき、ロックフェラー夫妻に聞いてみたそうです。『貴方は、莫大なお金を持っているが、どれほどのお金が欲しいですか」と。

「今持っているお金の一万倍」、というのが、その時の答えです。
世界中の富を独占しているであろう、ロックフェラー夫妻にして、これです。

「物質的な欲望を満たすこと」は、限りがありません。持てば持つほどに、「欲しくなる」のでしょう。それでは、いつもストレスを抱え続けて生きることになります。

欲求不満の塊のような人生を生きていくことになります。
はたして、それが幸せな人生と言えるでしょうか?

どちらにしても、「欲を持つな」とは説いていません。「明らかな知慧をもって、満足」することも、欲望には変わりがないからです。


(2018年10月1日)


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