2018年10月7日日曜日

「ブッダの感興のことば」 第6 戒め

<「ブッダの感興のことば」 第6 戒め>です。戒め、つまり戒律を守ること、ここに宗教の宗教たる所以があります。現在の日本の仏教界は、これを蔑にしていますが。


★  戒め

・修行僧は堅く戒めをたもち、心の念(おも)いを明らかな知慧とを、修養すべきである。
つねに熱心につつしみ深く、つとめはげむならば、苦しみを消滅し尽くすに至るであろう。(6-8)
・戒めと精神統一と明らかな知慧のある人は、これらを修養している。かれは究極の境地に安住し、汚れが無く、憂いが無く、迷いの生存を滅ぼし尽くしている。(6-11)
・修行僧が心が高ぶりざわざわして、恣(ほしいまま)に怠けて、外のことがらに心を向けているならば、戒めと精神統一と知慧とは、完成しない。(6-13)
★ 「戒め」とは何か

「修行僧は堅く戒めをたもち」とありますが、ブッダはここでは、その「戒め」とは何であるのかという事にまでは、触れていません。

6-11 においても、冒頭に「戒め」という言葉がおかれてあり、「戒め」とは何か、という疑問は当然のことです。

そこで、私が「心の師」と仰ぐ小室直樹先生に「相談してみる」事にします。
小室先生は、『日本人のための宗教原論』において、以下のように述べておられます。

・仏教の掟は、釈迦がきめたもうたものであり、僧の250戒、尼の348戒、を中心として、律蔵という大きな経があり、律宗という宗派ができるほどに膨大なものである。(323貢)
・僧侶の婚姻に関していえば、・・・
本来、仏教では僧侶に結婚を許すというようなことはありえないのである。が、親鸞革命以後、日本では僧侶に結婚を許す宗派も出てきた。・・・
ところが明治になって、政府が僧侶の結婚を許した。(373貢)
なんと、ブッダが決めた戒は、600戒をはるかに超えるものなのだそうです。

★ お坊さんが、結婚するのは、戒を破る事

本来なら、お坊さんが結婚をするなどいう事は、とんでもないこと。そういう話です。
考えてみれば、その通りでありましょう。

もともと、ブッダ自体が、結婚していたのです。それを出家して、修行に道に入ったのですから。家族を持つことを否定しているのです。

そうなると、今の日本の現状は、どうでしょうか。お坊さんが結婚するのは当たり前。「打つ、買う」は無いでしょうが、「飲む」のも普通になっています。

祇園などでは、お坊さんは、「上得意様」であるようです。
事実、私も、あるホテルで、袈裟掛けの姿のお坊さんが、ウイスキーのグラスを傾けているのを、目の当たりにしたことがあります。

日本の仏教が、本来の仏教とは遠く、掛け離れたものになっており、「日本教」と呼ばれる訳は、こんなところにあると言えるのでしょう。

(2018年10月7日)

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