<「ブッダの感興のことば」 第10章 信仰>Ⅱです。信仰心の深い人は、人生の旅路の糧を手に入れる。そして、信仰の無い人とつき合うな。でも、同じつき合うなら、清い
信仰心のある人にせよ。このようにブッダは説いています。
★
信仰心の深い人は、人生の旅路の糧を手に入れる。
それは盗賊も奪うことのできない福徳である。盗賊が奪い去るのを防ぐ。
功徳をともなう宗行者らは、人びとに愛される。
修業者らが来たのをみては、賢い人々は歓び迎える。(10-12)
或るひとびとは、信じるところにしたがって、また財力に応じて、ほどこしをなす。
だから、他人のくれた食物や飲料に満足しない人は、昼も夜も心のやすらぎを得ない。(10-13)
信仰の無い人とつき合うな。水の乾(ひ)からびた池のようなものである。もしも、そこを掘るならば、泥くさい臭いのする水がでてくるだろう。(10-14)
しかし、信仰心あり明らかな知慧ある人とつき合え。--水をもとめている人が湖に近づくように。
そこには、透明で清く澄み、冷ややかで濁りの無い水がある。(10-15)
好きなひとだからといってなじんではならない。ひとはそこで砕けてしまう。
清い信仰心のない人を遠ざけて、清い信仰心のある人に近づく。(10-16)
★
無常、愛欲、愛執、はげみ、愛するもの、戒め、善い行い、ことば、行い、信仰。以上で10です。人の指は、普通、10本です。ブッダは、文字では説教をしていないので、人々が覚えやすいように、10、に分けたのあろうと想われます。
ブッダは、最後の句で「好きなひとだからといってなじんではならない。ひとはそこで砕けてしまう。」と説いています。
ゴータマ・ブッダは、出家する前には結婚しており、その家族を捨てて、仏の道、を志しました。
シッダールタ(=出家する前の名前)は、王族としての安逸な生活に飽き足らず、また人生の無常や苦を痛感し、人生の真実を追求しようと志して29歳で出家した。と言われます。
だから、10-16の句、は、ブッダ自身の経験から来ている句でもある。このように言えると思います。
(2018年10月15日)
信仰心のある人にせよ。このようにブッダは説いています。
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信仰心の深い人は、人生の旅路の糧を手に入れる。
それは盗賊も奪うことのできない福徳である。盗賊が奪い去るのを防ぐ。
功徳をともなう宗行者らは、人びとに愛される。
修業者らが来たのをみては、賢い人々は歓び迎える。(10-12)
或るひとびとは、信じるところにしたがって、また財力に応じて、ほどこしをなす。
だから、他人のくれた食物や飲料に満足しない人は、昼も夜も心のやすらぎを得ない。(10-13)
信仰の無い人とつき合うな。水の乾(ひ)からびた池のようなものである。もしも、そこを掘るならば、泥くさい臭いのする水がでてくるだろう。(10-14)
しかし、信仰心あり明らかな知慧ある人とつき合え。--水をもとめている人が湖に近づくように。
そこには、透明で清く澄み、冷ややかで濁りの無い水がある。(10-15)
好きなひとだからといってなじんではならない。ひとはそこで砕けてしまう。
清い信仰心のない人を遠ざけて、清い信仰心のある人に近づく。(10-16)
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無常、愛欲、愛執、はげみ、愛するもの、戒め、善い行い、ことば、行い、信仰。以上で10です。人の指は、普通、10本です。ブッダは、文字では説教をしていないので、人々が覚えやすいように、10、に分けたのあろうと想われます。
ブッダは、最後の句で「好きなひとだからといってなじんではならない。ひとはそこで砕けてしまう。」と説いています。
ゴータマ・ブッダは、出家する前には結婚しており、その家族を捨てて、仏の道、を志しました。
シッダールタ(=出家する前の名前)は、王族としての安逸な生活に飽き足らず、また人生の無常や苦を痛感し、人生の真実を追求しようと志して29歳で出家した。と言われます。
だから、10-16の句、は、ブッダ自身の経験から来ている句でもある。このように言えると思います。
(2018年10月15日)