2015年5月14日木曜日

政府の再生会議が教員の一体改革を提言 教員採用の筆記試験を全国一本化

先日の自民党の部会に引き続き、今度は、政府の教育再生実行会議が、驚くべき提言を、安倍首相にした。その目玉は、全国の教員採用試験のうち、筆記試験を全国で一本化すること、というもの。









 再生会議、教員の一体改革を提言 採用試験の筆記全国共通化 =47ニュース

≪政府の教育再生実行会議(座長・鎌田薫早稲田大総長)は14日、都道府県と政令市の教育委員会がそれぞれ実施している教員採用試験のうち、筆記試験を全国共通にすることや、現職教員の研修に教職大学院を活用することなど、教員の養成・採用・研修の一体改革を求める提言を安倍晋三首相に提出した。
 提言は、教員の学びを大学4年間で終わらせず「教職生活全体を通じ、体系的に学び続けられる体制を整備することが不可欠」と強調。国、自治体、大学が共同で、教員能力の育成指標を策定するとした。≫

◆ 日本の教育は、完全に国家統制の下の置かれる

現在、子供らが学んでいる教科書は、民間企業が出しているとはいえ、実質的には、国定教科書と言ってよい。
教科書を出す前に、国による検定があり、自由に、教科書を書く事が出来ない。

この教科書に続いて、いよいよ、教員へ統制が始まろうとしている。
このことは、歴代自民党政権の長年の念願とするところであった、といえるだろう。

先の自民党の提言、今日の、この再生会議の提言が実現すれば、その歴代自民党政権の長年の念願がかなう事となる。
これで、日本の教育は、完全に国家統制の下の置かれることとなる。

これでは、日本の教育は、戦前に戻ったも同然となる。
名前こそ、「国民学校」となっていないが、そうなったも同然.


もちろん、このような提言が、地方自治体から歓迎されるとは思わない。
猛烈な反発を受けることだろう。
まして、安倍政権は、地方創生を看板にしているはずである。

また、この動きは、これだけを単独で観ていても、その意図するところを理解することが出来ない。
今現に進行している、安倍政権の一連の政策と関連付けて、理解すべきことであると思う。

特に日本国憲法の改正。それと平行して、国民投票権が18歳以上に引き下げられたこと。
また、集団的自衛権の行使の容認。
特定秘密保護法の施行。

すくなくとも、これらとの関連で、総合的に観るべきであろう。

 現代は、個性を重要視した教育が必要とされている

さらに別な側面から考えてみよう。
今の時代の流れというか、変化という事から観てみたい。

端的に言うと、20世紀は、大量化、高速化、没個性化 ―あるいは脱個性化というほうが正確かもしれないが―の時代であった。
すべてが、人から機械へと置き換えられた時代であった。

それは教育においても例外ではない。
江戸時代の寺子屋と比べるまでもなく、学校は、大規模化された。
TVが教室に入り、パソコンがすべの学校に配備された。

反面、制服の着用を義務化させ、髪型、靴、靴下までも、統一し、児童生徒の個性を奪っている。

教科書も、多少の違いがあるにせよ、教えられる内容は、全国一律となっている。
教師が工夫をこらした教材を使う事が出来ない。


一方で、21世紀の時代の方向は、20世紀の時代と正反対な方向に向いている。
というより、20世紀の反省に基づいていたものになっている。

それを表すキーワードは、少量化・小型化、スロー化、個性化・多様化である。
現代では、物はあふれかえっている。
現代人の苦悩は、物がない、買えないという事ではない。

むしろ、物がありすぎて、選択に迷う。
何を買い求めればよいかわからない。
同じ製品でも、どれを選べばよいのかわからない。

そういう時代である。
このことは何を意味するか。

それは、これからの時代は、個性や独創性を重要視した教育が必要とされている、ということである。
他人と違う自分、他人と違うことを恐れるのではなく、むしろ強調し、誇りとする人間を育成していくことが求められている。

それには、個性を無視した集団としての教育(大量化)ではなく、児童生徒の一人一人(少量化)を大切し、子供らの個性や独創性を伸ばす教育が、必要だ。
当然、指導する教師の側にもそれが求められる。

指導する教師が、画一化され、一つの物差しで測られたような人間であるなら、児童生徒を個性あふれる人間に育て上げることは出来ない。

そういう意味からも私は、このような企ては、決して賛成できない。
それは、生徒児童をないがしろにするものであり、ひいては、日本の国益に反することである。

※ 後半の部分を大幅に加筆しました。2015/5/15

(2015年5月14日)