2015年5月14日木曜日

「スポーツ庁」の設置法 参院本会議で可決、成立

はたしてこの「スポーツ庁」ができることで、日本の国民が、日本の全国津々浦々で、心からスポーツを楽しむ事が出来るようになるのであろうか。そのような目的をもって、設置された行政機関なのであろうか。









 スポーツ庁設置法が成立、10月発足 五輪選手強化 

≪文部科学省の外局としてスポーツ行政を一元的に担う「スポーツ庁」の設置法が13日の参院本会議で可決、成立した。
政府はスポーツ庁を10月1日に設置し、2020年東京五輪・パラリンピックに向けた選手強化、スポーツを通じた地域振興や国際交流に取り組む。初代の長官には、元運動選手を含む民間人からの起用が浮上している。
 スポーツ庁は文科省の「スポーツ・青少年局」を母体に、運動施設を整備する国土交通省や、健康増進事業を進める厚生労働省などの関連部署を統合する。職員は120人規模になる。≫=日本経済新聞

◆ 国民がスポーツを楽しむために資する行政機関として機能するか

スポーツ振興法という法律があった。1964年の東京オリンピックの開催を控えて、制定されたものである。
その法律が平成23年に全面的に改正され、スポーツ基本法となった。

つまりは、オリンピックが日本で開催されるという事に合わせて、法律が制定され、全目的に改正されてきた。

このことは、まずは、オリンピックありき、がその出発点になっているという事が出来る。

そのスポーツ基本法は、前文で次のよう言う。
スポーツは、心身の健全な発達健康及び体力の保持増進精神的な充足感の獲得自律心その他の精神の涵(かん)養等のために個人又は集団で行われる運動競技その他の身体活動であり、今日、国民が生涯にわたり心身ともに健康で文化的な生活を営む上で不可欠のものとなっている。
また、その第2条では、次のように記述されている。
スポーツは、これを通じて幸福で豊かな生活を営むことが人々の権利であることに鑑み、国民が生涯にわたりあらゆる機会とあらゆる場所において、自主的かつ自律的にその適性及び健康状態に応じて行うことができるようにすることを旨として、推進されなければならない。
各新聞が一斉に報じているように、昨日、スポーツ庁の設置法が可決された。

はたして、このスポーツ庁が、スポーツ基本法が言うように、心身の健全な発達、健康及び体力の保持増進、精神的な充足感の獲得、自律心その他の精神の涵(かん)養のために、あるいは、 自主的かつ自律的にその適性及び健康状態に応じて、国民がスポーツを楽しむために資する行政機関として、機能することができるのだろうか。

 第一の目的は、2020年の東京五輪でメダルをより多く取ること

今回のスポーツ庁の設置法は、日本経済新聞が見出しに書いているように、その第一の目的は、2020年の東京五輪でメダルをより多く取ることにある。

その何よりの証拠は、―東京五輪の開催がきまった―今のこの時期に、スポーツ庁が設置されることだ。
上にも書いたように、一連の流れは、五輪の開催に関係している。

また、その初代長官には、スポーツに精通した人物が予定されている。
このスポーツ庁は、現在バラバラに行われているスポーツ行政を、一元的に統合するものになるということであるなら、長官は、もっと広い観点から選ばれるべきであろう。

そうでないなら、ただの「お飾り」に過ぎないものになりかねない。
仮にそうなると、「国民が生涯にわたりあらゆる機会とあらゆる場所において」スポーツを楽しむというような政策が、実施されるとは到底思えない。


現在行われている国民的行事であるといわれる、国民体育大会(国体)自体が、形骸化している。
とても、「国民」という名前を冠するような大会になっていない。
今では、一部のスポーツ選手のための大会に過ぎない。

この「スポーツ庁」が出来たからと言って、それが国民のスポーツを楽しむという精神的喜びに貢献できるとは、到底思えない。

官僚の天下り先が、増えるだけのことに終わるであろう。

(関連サイト案内)

スポーツ庁新設とスポーツ政策の今 東京五輪まで6年、日本の司令塔は!=sports navi

(2015年5月14日)