2015年5月22日金曜日

真珠湾攻撃 日本軍に最初に砲撃した米国人

第2次世界大戦の開戦前夜に、真珠湾に奇襲攻撃をしかけてきた日本軍に向けて、米軍兵士として最初に発砲した水兵の一人である、アラン・サンフォードさんの遺灰が、20日に、戦没者が眠るバージニア州の、アーリントン国立墓地に納められた、という記事がWSJに掲載された。

この記事は、日本にとっても重要な内容を含むものであると思うので、検討を加えてみたい。



真珠湾攻撃、日本軍に最初に砲撃した米国人―遺灰がアーリントン墓地に
     (元記事はここから)

◆ ウオール・ストリート・ジャーナルの記事

記事は、次のように書く。
『1941年12月7日午前6時37分、当時18歳だった一等水兵のサンフォードさんは真珠湾の湾口で防衛にあたっていた駆逐艦ワードに乗務していた。日本の海軍航空隊による攻撃が始まるちょうど1時間ほど前、ワードの乗組員は別の米軍艦の後を追って、日本海軍の小さな潜水艇が湾内へ侵入しようとしているのを発見した。』
記事が、「攻撃が始まるちょうど1時間ほど前」と正確にかいているように、この時点においてはまだ、日本からの宣戦布告は 行われていなかった。
『ワードの艦長がパジャマとバスローブの上にライフベストを身につけ、ブリッジ(艦橋)に姿を現した。サンフォードさんによると、艦長は「前進全速!衝突に備えよ」と命じ、「撃ち方始め!」と叫んだ。
 サンフォードさんら水兵は艦首から目標までの距離約90メートルほどで射撃を開始した。この最初の射撃で、サンフォードさんは砲弾が潜水艇の展望塔をわずかに逸れたのを見た。インタビューでは「潜水艇の塗装が二重に見えた。(砲弾が標的に近づき、急速に速度を落とすと爆発する)信管が作動したかもしれない」とし、「いかに近くまできたかを認識させた」と語っていた。
 砲員が次に発砲したのはワードが約46メートルの距離を置いて特殊潜水艇を横切る際で、これで展望塔の右側に4インチ(約10センチメートル)の穴を開けた。これに続き、ワードは4発の水中爆雷を投下。艦長の報告や歴史家によると、この砲撃で開いた穴から海水が入り込み、特殊潜水艇は右側に横倒しになって水深366メートルほどの海底に沈んだ。』
この時点において、この潜水艦がどこの国のものであるかは、おそらく明らかではなかったであろう?(注①)
だが、これが何を意味するか、ことの重大さは、十分に認識できたはずである。
このことは、この後で、記述する。
 『海軍公文書に記録された報告によると、艦長だったアウターブリッジ大尉(当時)は「航行制限区域で操業する潜水艇を砲撃し、爆雷を投下した」と指揮官に無線で報告したという。』
ここが決定的に重要なところだ。
航行制限区域に入ってきた「国籍不明」?の潜水艦を砲撃、爆雷を投下して、沈没させた。
そして、そのことを、オアフ島にいる指揮官に報告した。

つまり、この記事は、先に攻撃を加えたのは、アメリカの海軍であるという事を証明している。


 真珠湾攻撃前夜の状況

ここからは、真珠湾攻撃前夜の状況を観てみる。

・1937年(昭和12年)10月5日の、ルーズベルトによる「隔離演説」
『世界の九割の人々の平和と自由、そして安全が、すべての国際的な秩序と法を破壊しようとしている残り一割の人々によって脅かされようとしている。(…)不幸にも世界に無秩序という疫病が広がっているようである。身体を蝕む疫病が広がりだした場合、共同体は、疫病の流行から共同体の健康を守るために病人を隔離することを認めている」』
この演説に言う「疫病」が、ドイツ、イタリア、日本を指示していることは、明らかである。
これはそれを、世界が共同して、攻撃しようという演説だ。

・1939年(昭和14年)7月16日、米国の『日米通商航海条約破棄の通告」
『1940年の日米通商航海条約失効以降はアメリカ側が輸出入に関して制限をかけても日本に対抗手段がない状態となった。さらに対敵通商法の適用国となればアメリカの民間人がある国(日本人)と自由に、あるいは第三国を経由して交易をおこなうことを制限する完全許可制となり、対敵通商法の適用を匂わせることで日本に対する「紙上封鎖」圧力を加えることができた。』
 「日米通商航海条約」が、失効したことで、日本は、アメリカからの物資、資材、原料の輸入が途絶えた。
このことが、どのような意味を持つかということは、マッカーサ―将軍も、米国の上院で証言している。

・1941年(昭和16年)11月26日、に出された「ハル・ノート」
『11月26日の会談後、ハルはスティムソン陸軍長官に対して「自分は日本との暫定協定を取りやめた。私はこのことから手を洗った。今や問題は貴方及びノックス海軍長官即ち陸海軍の掌中にある」と伝えたとされる。同日、ルーズベルトはスティムソンに対して「日本は打ち切ったが、しかし、日本はハルの準備した立派な声明(ハル・ノート)によって打ち切ったのだ」と言ったという。
11月27日、ハルは軍事評議会においてハル・ノートを説明した際、「日本との間に協定に達する可能性は事実上なくなった」と述べ、太平洋艦隊及びアジア艦隊各司令官に対し「ここ数日内に日本が侵略的行動を採るものと予想される」として「戦争警告」が発せられている。』
この時点において、ルーズベルトが、日本との戦争を決意していたことは、明白である。

(注②) この章は,wikipediaの記事を引用した。


 「トラ・トラ・トラ」=予見されていた奇襲

次に、日本による真珠湾攻撃を、米国が事前に十分に予見していたという事について、みる。

・1940年12月14日付けの、ルーズベルトへの、駐日大使のグル―の書簡

『われわれが日本と他日衝突することは、ますます明らかであると思います。問題の主要点は対決が早いほうがよいか、あるいはおそいほうがよいかということです。われわれに南洋を含む東亜全域から全面的に撤退する用意があるのでなければ―断じてそうでないように!ーわれわれは、結局、日本と全面的衝突をするようになるだろうと思います』
・1941年1月末ごろの、駐日大使グル―の暗号電信
『当大使館の一人が、…日本を含む各方面の情報として、日本は米国と”事を構える”場合、真珠湾に対して軍事力による集団奇襲攻撃を行うことを計画ちゅうであり、この攻撃には日本の全兵力を投入するだろうという情報を聞いてきた。・・・・』

・1941年(昭和16年)8月26日の、W・E・ファーシング大佐の報告

『この研究は薄気味悪いほどの正確さで、12月8日の実際に起こったことを、ほとんど正確に予言している。日本海軍は「おそらくは最大限6隻の航空母艦を使用し、北方から攻撃をかけてくるであろう」と。
 ファーガソン大佐はさらに「オアフ島に対する早朝の攻撃が敵にとってもっとも有利であろう。なぜならば、敵の航空母艦部隊はオアフ島に接近するのに夜陰を最大限に利用することができるからである。
これに対抗するには、アメリカ航空部隊としては、敵が攻撃開始地点に達する前の日、つまり敵がB=17D型爆撃機圏内にはいてくるやいなや、これに攻撃を加えなければならない。
敵はおそらく最大の兵力で全力で攻撃をかけてくるであろうし、攻撃が成功するならば自己の損害を意に介さないであろう」と述べている。・・・・
日本の攻撃の機先を制する手段として、同報告はまず第一に、昼間ハワイの全域に完全な航空哨戒を持続すべきであり、そのためには、ハワイ航空部隊は180機のB=17D型爆撃機、また同じ航続力をもつ四発の爆撃機が必要である、と意見を具申していた。』
この報告は、プランゲが言うように、恐ろしいほどの正確さで、日本海軍の作戦を予見している。
皮肉にも、外れたのは、 「攻撃が成功するならば自己の損害を意に介さない」であろう、というところのみであった。

南雲中将は、オアフ島への再攻撃を中止したのであった。
また、目当ての米海軍の航空母艦を探すこともしなかった。

(注③) この章は、『トラ トラ トラ』 ゴードン・プランゲ著 を引用した。

 真珠湾で先に攻撃を開始したのは、米海軍

WSJの記事は、中ほどにおいて、以下のように書いている。
『真珠湾攻撃を受ける前、米海軍はすでに大西洋でドイツ軍の潜水艦「Uボート」に遭遇していた。ワードの行動は、日本が米国に宣戦布告して米国を戦争に巻き込んだ当日、最初に米国が行った砲撃とされている。』
この記述は、正確ではない。
この時点においては、まだ、日本国は、宣戦布告を正式には、米国に通告をしていない。

だが、皮肉にもこの記事は、米海軍こそが、日本国が宣戦布告をする前に、日本に攻撃を加えたのである、という事を反証している。


また、wikipediaの記事は、
『アメリカは当時すでにパープル暗号の解読に成功しており文書が手交される前に内容を知悉していた。ルーズベルトは12月6日の午後9時半過ぎに十三部を読み、「これは戦争ということだね(This means war.)」
と、つぶやいたと書いている。(注④)


たとえ、日本国からの通告がなくとも、ルーズベルトは、日本が戦争を仕掛けてくることは、十分に予見していた。

そうであるなら、すぐにでも、緊急体制を指示すべき立場にあった。
であるのにそれをしなかったという事は、真珠湾の悲劇の責任は、ルーズベルトにこそある、と私は思う。

(注①)
このように書いては見たが、腑に落ちない点がある。

この潜水艦は、船体に日の丸を明示していたのかどうか。
この点は、重要だ。

もし、表示していたのなら、潜水艦を撃沈したという打電は、「日本海軍の潜水艦を撃沈した」という電文になっていたはずだ。

表示していたのか否かについては、私は、表示していたと考える。
そうでなければ、明白な国際法違反である。

なによりも、「武士道」の精神に反する。
捕まっても、捕虜としての待遇を受けることもできない。

(注④)
この箇所は、「宣戦布告」遅延問題の章に記述されている。

(2015年5月22日)