かっての日本には、「帝国議会」に燦然と輝く名演説が少なからず、存在した。それは自由な討論に支えられていた。だが、今の国会からは、自由な討論は姿を消した。
今日の日本において、国会の審議は形骸化し、議会は役人が支配するところとなっている。
いまや、国会における自由な討論は影も形もない。日本におけるデモクラシーは、役人に簒奪され、役人クラシ―と成りはてた。
だが、役人は、「最良の官僚は、最悪の政治家である」という言葉を引くまでもなく、自由な意思をもって、自由な言論を行うという民主政治の理想とは、最も遠いところにいる存在である。
◆ 「帝国議会」には、多数派を相手に、堂々と論陣を張った代議士がいた
安倍内閣が、集団的自衛権の行使を容認する安保法制の閣議決定をし、国会に上程した。
いよいよ、安保法制の本格的審議が始まる。
これは、我が国のこれまでの進路を大きく転換するものであり、日本の命運がかかった法案の審議となる。
現在の安倍内閣を支える与党、自民・公明党は、今の国会において、327人という議員が所属している。だから、数の上では到底、野党のすべての勢力を結集しても、対抗できない。
国会における議決が数を頼みにして行われる限りにおいては、安保法制の審議の行方は、結果を観ずとも明らかである。
だが、過去の日本の議会を観れば、数が力である、と簡単には断定できない。
歴史をみれば、多数派を相手にして、堂々と論陣を張った代議士が、いた。
現代に生きる我々は、戦前が一様にファシズムに覆われ、民主主義など存在したことがないと思いがちである。
しかし、戦前の帝国議会にも、歴史に燦然と輝く名演説をし、反対勢力を圧倒した代議士らがいた。
◆ 歴史に燦然と輝く、帝国議会の名演説
かっての日本の帝国議会には、尾崎行雄、犬養毅、浜田国松、斉藤隆夫など、そうそうたる代議士がいた。
それらの例を観てみよう。
尾崎行雄の桂内閣断崖演説。
それは1913年2月5日のこと。
その時、日本は、桂内閣で、日露戦争に勝利し、韓国を併合した。
その、飛ぶ鳥を落とす勢いの桂首相を、指さして、「玉座をもって胸壁となし、詔勅をもって弾丸に代えて政敵を倒さんとするものではないか」と指弾した。
桂首相は議会の解散を決意したが、結局、内閣の総辞職という結果に終わった。
次は、浜田国松。
寺内陸軍大臣が、先に行った浜田代議士の演説に対し、
「ときに、先刻来の浜田君のご演説中、軍人にたいしていささか侮辱するかのごとき言説があったのは、遺憾である」と述べると、
「議長」
と、すかさず発言を求める浜田代議士の蛮声が、議場にこだました。
「いやしくも国民を代表している私が、不当なケンカを吹っかけられては後へは引けぬ。どこが軍を侮辱したのか、事実を挙げよ」と反論した。
寺内大臣は、そうは言わない、と否定したが、浜田代議士は、
侮辱した、と最初に言うておいて、今度は侮辱にあたるような疑いがあるととぼけてきた。
市井(しせい)のならず者のように事実も論拠もなくして人の不名誉を断ずる事が出来るか、と三度(みたび)反論し、速記録を調べて軍隊を侮辱した言葉があるかないか探してほしい。
「あったら割腹して君に謝する。なかったら、君割腹せよ」と迫った。
世に言う「ハラキリ問答」である。
浜田代議士は、軍部大臣の現役制が、政治を左右するのものではないかと、問いただしたのであった。
この浜田代議士の指摘は、決して杞憂ではなかった。
その後の日本は、ことあるごとに、この軍部大臣の現役制が、政治の足を引っ張り続けた。
そして、ズルズルと戦争の泥沼にはまり込んでいった。
その「シナ事変」の最中の時の、斉藤隆夫の反軍演説。
斉藤代議士は、この事変は目的すら判然とせず、いたずらに国民生活に犠牲を強いるものである、と述べた。
続いて、
「畢竟(つまるところ)するに政府の首脳部に責任感が欠けている・・・・。
立憲の大義を忘れ、国論の趨勢を無視し、国民的基礎を有せず、国政にたいして無経験で、しかもその器にあらざる者を拾い集めて弱体内閣を組織するが、国民的支えを欠いているから、何事についても自己の所信を断行する決心も勇気もない・・・・」
10万人の戦死者と莫大な国費に見合う方策があるのか、それがなければそんな無意味な戦争は止めろ、と述べた。
このシナ事変が「聖戦」と呼ばれるようになった時期のことである。
だれが、この「聖戦」に対抗することが出来ようか。
日本は、空気が支配するお国柄。
一旦、この空気が出来あがれば、それに反対することは至難の業。
それをただ一人でやってのけて見せたのが、斉藤隆夫代議士であった。
◆ 後の日本人に恥じない歴史を残すことが出来るか
我々が歴史の本を読み、歴史を学ぶことは、誰にでも出来る。
今日が過去になり、やがては歴史になることは誰でもが知っている。
我々は、過去の歴史を学び、「もしも、あの時」と現在からみて、昔の人々を批判する。
では、現在の我々は、本当に今が歴史になることを自覚して生きているといえるだろうか。
将来の日本の国民に、「歴史に何を学んでいたのだ」という批判を浴びないで済む事が出来るであろうか。
そのような歴史を、将来の日本人に残すことが出来るであろうか。
※ 大幅に加筆して、再送しました。
(2015年5月18日)
今日の日本において、国会の審議は形骸化し、議会は役人が支配するところとなっている。
いまや、国会における自由な討論は影も形もない。日本におけるデモクラシーは、役人に簒奪され、役人クラシ―と成りはてた。
だが、役人は、「最良の官僚は、最悪の政治家である」という言葉を引くまでもなく、自由な意思をもって、自由な言論を行うという民主政治の理想とは、最も遠いところにいる存在である。
◆ 「帝国議会」には、多数派を相手に、堂々と論陣を張った代議士がいた
安倍内閣が、集団的自衛権の行使を容認する安保法制の閣議決定をし、国会に上程した。
いよいよ、安保法制の本格的審議が始まる。
これは、我が国のこれまでの進路を大きく転換するものであり、日本の命運がかかった法案の審議となる。
現在の安倍内閣を支える与党、自民・公明党は、今の国会において、327人という議員が所属している。だから、数の上では到底、野党のすべての勢力を結集しても、対抗できない。
国会における議決が数を頼みにして行われる限りにおいては、安保法制の審議の行方は、結果を観ずとも明らかである。
だが、過去の日本の議会を観れば、数が力である、と簡単には断定できない。
歴史をみれば、多数派を相手にして、堂々と論陣を張った代議士が、いた。
現代に生きる我々は、戦前が一様にファシズムに覆われ、民主主義など存在したことがないと思いがちである。
しかし、戦前の帝国議会にも、歴史に燦然と輝く名演説をし、反対勢力を圧倒した代議士らがいた。
◆ 歴史に燦然と輝く、帝国議会の名演説
かっての日本の帝国議会には、尾崎行雄、犬養毅、浜田国松、斉藤隆夫など、そうそうたる代議士がいた。
それらの例を観てみよう。
尾崎行雄の桂内閣断崖演説。
それは1913年2月5日のこと。
その時、日本は、桂内閣で、日露戦争に勝利し、韓国を併合した。
その、飛ぶ鳥を落とす勢いの桂首相を、指さして、「玉座をもって胸壁となし、詔勅をもって弾丸に代えて政敵を倒さんとするものではないか」と指弾した。
桂首相は議会の解散を決意したが、結局、内閣の総辞職という結果に終わった。
次は、浜田国松。
寺内陸軍大臣が、先に行った浜田代議士の演説に対し、
「ときに、先刻来の浜田君のご演説中、軍人にたいしていささか侮辱するかのごとき言説があったのは、遺憾である」と述べると、
「議長」
と、すかさず発言を求める浜田代議士の蛮声が、議場にこだました。
「いやしくも国民を代表している私が、不当なケンカを吹っかけられては後へは引けぬ。どこが軍を侮辱したのか、事実を挙げよ」と反論した。
寺内大臣は、そうは言わない、と否定したが、浜田代議士は、
侮辱した、と最初に言うておいて、今度は侮辱にあたるような疑いがあるととぼけてきた。
市井(しせい)のならず者のように事実も論拠もなくして人の不名誉を断ずる事が出来るか、と三度(みたび)反論し、速記録を調べて軍隊を侮辱した言葉があるかないか探してほしい。
「あったら割腹して君に謝する。なかったら、君割腹せよ」と迫った。
世に言う「ハラキリ問答」である。
浜田代議士は、軍部大臣の現役制が、政治を左右するのものではないかと、問いただしたのであった。
この浜田代議士の指摘は、決して杞憂ではなかった。
その後の日本は、ことあるごとに、この軍部大臣の現役制が、政治の足を引っ張り続けた。
そして、ズルズルと戦争の泥沼にはまり込んでいった。
その「シナ事変」の最中の時の、斉藤隆夫の反軍演説。
斉藤代議士は、この事変は目的すら判然とせず、いたずらに国民生活に犠牲を強いるものである、と述べた。
続いて、
「畢竟(つまるところ)するに政府の首脳部に責任感が欠けている・・・・。
立憲の大義を忘れ、国論の趨勢を無視し、国民的基礎を有せず、国政にたいして無経験で、しかもその器にあらざる者を拾い集めて弱体内閣を組織するが、国民的支えを欠いているから、何事についても自己の所信を断行する決心も勇気もない・・・・」
10万人の戦死者と莫大な国費に見合う方策があるのか、それがなければそんな無意味な戦争は止めろ、と述べた。
このシナ事変が「聖戦」と呼ばれるようになった時期のことである。
だれが、この「聖戦」に対抗することが出来ようか。
日本は、空気が支配するお国柄。
一旦、この空気が出来あがれば、それに反対することは至難の業。
それをただ一人でやってのけて見せたのが、斉藤隆夫代議士であった。
◆ 後の日本人に恥じない歴史を残すことが出来るか
我々が歴史の本を読み、歴史を学ぶことは、誰にでも出来る。
今日が過去になり、やがては歴史になることは誰でもが知っている。
我々は、過去の歴史を学び、「もしも、あの時」と現在からみて、昔の人々を批判する。
では、現在の我々は、本当に今が歴史になることを自覚して生きているといえるだろうか。
将来の日本の国民に、「歴史に何を学んでいたのだ」という批判を浴びないで済む事が出来るであろうか。
そのような歴史を、将来の日本人に残すことが出来るであろうか。
※ 大幅に加筆して、再送しました。
(2015年5月18日)