2015年5月28日木曜日

憲法  日本人のもつ価値観や道徳観を書きこむことが必要か


憲法に、日本人の持つ「価値観」や「道徳観」を書き込むことが必要か、ということについて考えてみたい。それには、憲法とは何か、という基本的な認識の検討が欠かせない。

47ニュースが、連載企画として、「岐路の憲法」を掲載している。その第2部では、「私の視点」と題して、有識者に限らず、多彩な人々の意見を載せている。

きょう、その第10回目にあたる、桜井よしこ氏の「私の視点」を見た。

ここに言われている「日本人の価値観の反映」とか、「家族の大切さを書く」というような考えは、桜井氏に限らない。自民党の船田元(はじめ)議員も、同じような意見を述べている。

とくに船田議員は、前裁判官弾劾裁判所裁判長の経歴を有している。
同時に、自民党の憲法改正推進本部長でもある。
だから、このような考えについて、検討することは重要な意味がある、と思う。

日本人の価値観反映を 自主独立の国目指せ  ジャーナリスト桜井よしこさん=47ニュース

 桜井よしこ氏の視点

氏の主張は、次のようなもの。
憲法は国民、民族の価値観を表していなければならないが、日本国憲法は日本人の価値観を表しているとはいえない。権利と自由を強調する一方、責任や義務にほとんど言及していない家族の大切さも書かれていない。権利や自由の裏には責任や義務がある。日本人は他者への思いやりが強く、家族を大事にする民族のはずだ。・・・
 確かに、憲法の機能の一つは権力を縛ることだが、他にも権力に権力を与える「授権規範」と、民族の価値観を反映するという機能もある。三つのうちの一つの機能だけに焦点を当てるのは偏っており間違いだと思う。
上の文章の要点は、4点。
・日本人の価値観が反映されていない。
・権利や自由ばかりが多く、責任や義務についてのあまり書き込まれていない。
・家族の大切さが書かれていない。
・権力をしばるだけでなく、民族の価値観を反映するという機能を持つ。

この論法の注意すべき点は、ある点は認めつつ、しかしそればかりではない、と述べているところだ。
一見すると、まともな議論のように思える。

どんな乱暴な論を張る人でも、憲法が権力を縛るものである、という原則を否定することは、さすができないだろう。(安倍首相は、そうではないようであるが・・・・。)
だから、これは認めざるを得ない。

だが、それだけではない。
他にも大事な要素、役目があるはずだ、というのが、彼らの論だ。
桜井氏の主張も、その例に、もれない。

これは、憲法も法律である、という根本的な視点が抜け落ちている。
法律とは何か、という事についての無理解がある。
そう思う。

 憲法も法律。では、法律とは何か

ここで、改めて、法律とは何か、という事について考えてみたい。
難しい議論は抜きにしても、法律が「誰かに対する」命令である、という点は、納得してもらえると思う。

だが、そこには、「~をしてはいけない」とは書いていない。
「~のことをすべきである」とも書かれてはいない。
つまりは、価値判断が書き込まれてはいない。

書いてあるのは、「~をした場合は、~の罰金に処す。(あるいは、刑に処す)」と述べられているだけである。

例として、刑法で考えてみよう。
刑法には、人のものを盗んだり、人を傷つけたり、殺したりしてはいけない。
人をだまして、金品を盗んではいけない、とは書かれていない。

人間の外面的な行動の良し悪しについては、ひとことも触れてはいない。
では、どう書かれているか見てみよう。

・第百九十九条
  人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。

・第二百三十五条
  他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。

・第二百四十六条
  人を欺いて財物を交付させた者は、十年以下の懲役に処する。

  2  前項の方法により、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者も、同項と同様とする。

この条文の中には、ひとことも、「してはいけない」とは書いていない。
それは刑法が、もともと、国民に対して書かれた法律ではないからである。

国民ではなく、刑法は裁判で判決を下す、裁判官に向かって書かれたものである。
だから、裁判官は、この法律を無視したような判決を出すことは出来ない。
国民が、上にあげたような事件を起こしても、刑法に違反したことにはならない。


 本来個人的なことにつての価値判断を記述するなら、それこそ、おしつけである

憲法も法律である。
他の法律とは、その地位が異なるが、法律であるという点は、変わらない。
だから、憲法も、誰かに対しての、命令である。

そこには、物事の良し悪しという、価値判断は含まれない。
そうではなくて、「~をこうしろ」という命令を書き込むものである。

もともとが、「権利や自由ばかり主張しないで、責任や義務を果たしなさい」、というようなことを書きこむものではない。
まして、「家族を大切にしなさい」、というような道徳的なことについては、論外である。

そのような人間の内面的なことに関しては、外部からは、干渉はしない。
あるいは、干渉を受けない、というのが近代的な社会の基本的な原則である。


「他者への思いやり」や、「家族を大事にする民族」であるというようなことは、国民一人一人の、個人的な判断による。
それは、個人個人によって違いがある。
そんなことは、憲法によって、強制すべきことではない。

それを憲法に書きこむ、というようなことこそ、国民への押しつけである、といわねばならない。

いうまでもなく、個人の価値観は多様である。
何が大事で、何が大事でないかの判断をするという価値観は、個人にまかされていること。
それを国家が国民に強制するような社会は、野蛮な社会である。

それは歴史を見ない視点と言えるし、伝統的な社会に後戻りする議論と言える。
とても、近代社会において、通用する視点ではない、というべきである。

 改題、加筆をしました。(2015/5/29)

(2015年5月28日)