まもなく、戦後70年の節目の日がやってくる。
今日の東京新聞が、戦後50年の1995年に、植民地支配と侵略への反省とおわびを盛り込んだ首相談話を発表した村山富市元首相(91)が、18日、戦後70年にちなんで東京都内で講演した、と報じている。安倍首相が今年夏に発表する予定の70年談話について、「村山談話をできるだけ薄め、積極的平和主義を強調したいというのが本音ではないか」、と話した。
村山元首相が安倍談話を危惧 「戦後70年の歩み無視」←ここから元記事へ
◆ 「村山談話」とは何か
村山談話とは、私のブログでも取り上げたことがあるが、1945年(昭和20年)8月15日の終戦から50年経った1995年(平成7年)8月15日、第81代内閣総理大臣の村山富市元首相が、閣議決定に基づいて発表した声明である。 以後の内閣にも引き継がれ、日本国政府の公式の歴史的見解として、しばしば取り上げられる。
そこには、次のようなことが述べられている。
それには、次のように書かれていた。
この「村山談話」と「村山書簡」こそ、今日の日本、韓国、中国などの東アジアの混乱を招いた元凶ともいうべきものだ、と私は思う。
◆ 戦後70年、日本が謝罪しても東アジア情勢は改善せず
今年の1月14日に、ウオール・ストリート・ジャーナルが、次のような内容の記事を載せた。
戦後70年、日本が謝罪しても東アジア情勢は改善せず←ここから元記事へ
日本はきっぱりと全面謝罪すべきだとの議論がある。
東アジアの緊張緩和のため、という理由からである。
そして、東アジア地域の政治家、学者、そして戦争犠牲者のグループの間では、安倍晋三首相が日本の降伏70周年の8月に何を言うかに、今から期待が高まっている状況だ。
だが、ことはそう簡単ではないといい、その理由について、二点を挙げた。
ひとつは、公式の謝罪についてであり、日本の指導者たちが謝罪しないと非難することはできない。
この数十年間、彼らは繰り返し謝罪してきたからだ。
ふたつめには、安倍首相が本格的に謝罪するとしても、それが大いに役立つかどうか全く明白ではない。
それは、かえって事態を悪化させるかもしれない。
安倍首相がもっと謝罪をしても、それは東アジアにおける真の問題を解決しないだろう。
歴史をめぐる議論は、同地域の政治家たちによって、それぞれの国内目標のために利用されているからである。
歴史論議は、この地域では競合するナショナリスト的なアジェンダ(目標)をあおる。
それらは領土紛争をかき立て、実際的な外交上の解決を排除してしまう、と言う。
◆ 謝罪すべきは、元村山首相である
「村山談話」で、元村山首相は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明した。
さらに、「村山書簡」においては、未来志向の日韓関係を築き上げるためには、過去に対する痛切な反省が不可欠であるという、氏の揺るぎなき信念に基づき、深い反省と心からのおわびの気持ちを表明した。
その後の歴代の首相は、例外なく、この村山談話を継承してきた。
だが、現在の状況はどうか。
村山氏が期待したような状況になっているか。
韓国をはじめ、中国などと未来志向の関係を取り結ぶことができているか。
それは先にみた、ウオール・ストリート・ジャーナルの記事が詳しく分析している通りである。
私が思うに、今日のこのような状況を作り出した責任は、村山富市氏にこそある。
まず、だいいちに、自民党と組んで政権を作ったこと。このことが、自民党が今日まで生き延びるための延命措置になった。
もし、この時、村山富市氏が、はっきりと反対をしておれば、今日の自民党はなかったことであろう。
また、それまでの社会党の公約を破り、自衛隊の合憲と日米安保の堅持を表明した。これも、許されざる行いであった。
この時、「もうこれ以上、何が起きても驚かない」と嘆いた代議士がいたくらいである。
この3点セットが、今日の安倍首相の集団的自衛権の行使容認の閣議決定、安保法制へとつながっている。
だから、安倍首相に他国に向かっての謝罪の言葉を要求する前に、村山富市氏こそが、まず日本の国民に向かって、心からの謝罪をすべきである。
まるで自分は何の関係もないかのように、「村山談話」を引き継げ、謝罪しろ、というのは、それこそ無責任のそしりを免れない。
今日の日本の政治的混乱の結果を招いた責任は、村山富市氏にこそある。
(2015年5月19日)
今日の東京新聞が、戦後50年の1995年に、植民地支配と侵略への反省とおわびを盛り込んだ首相談話を発表した村山富市元首相(91)が、18日、戦後70年にちなんで東京都内で講演した、と報じている。安倍首相が今年夏に発表する予定の70年談話について、「村山談話をできるだけ薄め、積極的平和主義を強調したいというのが本音ではないか」、と話した。
村山元首相が安倍談話を危惧 「戦後70年の歩み無視」←ここから元記事へ
◆ 「村山談話」とは何か
村山談話とは、私のブログでも取り上げたことがあるが、1945年(昭和20年)8月15日の終戦から50年経った1995年(平成7年)8月15日、第81代内閣総理大臣の村山富市元首相が、閣議決定に基づいて発表した声明である。 以後の内閣にも引き継がれ、日本国政府の公式の歴史的見解として、しばしば取り上げられる。
そこには、次のようなことが述べられている。
≪わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。村山氏は、さらにこの談話を補完する形で、「村山書簡」を韓国の大統領に送った。
私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします≫
それには、次のように書かれていた。
≪・・・・・しかし、19世紀後半から急速に生じた、大きな力の差を背景とする双方の不平等な関係の中で、韓国併合条約とそれに先立つ幾つかの条約が締結された。これらの条約は民族の自決と尊厳を認めない帝国主義時代の条約であることは疑いを入れない。
私は8月15日の談話で、国策の誤りを認め、我が国が多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止めることを表明した。あらためて、植民地支配の下で、朝鮮半島の人々に耐え難い苦しみと悲しみを与えたことについて、深い反省と心からのおわびの気持ちを表明する。
この条約が韓国国民の心に残した、いやしがたい傷の深さをあらてめて胸に刻んだ。過去に対する痛切な反省があってこそ、未来志向の日韓関係を築き上げることができるというのが、私の揺るぎ信念だ。・・・・ ≫これ以後、日本政府による謝罪外交が延々と続くことになる。
この「村山談話」と「村山書簡」こそ、今日の日本、韓国、中国などの東アジアの混乱を招いた元凶ともいうべきものだ、と私は思う。
◆ 戦後70年、日本が謝罪しても東アジア情勢は改善せず
今年の1月14日に、ウオール・ストリート・ジャーナルが、次のような内容の記事を載せた。
戦後70年、日本が謝罪しても東アジア情勢は改善せず←ここから元記事へ
日本はきっぱりと全面謝罪すべきだとの議論がある。
東アジアの緊張緩和のため、という理由からである。
そして、東アジア地域の政治家、学者、そして戦争犠牲者のグループの間では、安倍晋三首相が日本の降伏70周年の8月に何を言うかに、今から期待が高まっている状況だ。
だが、ことはそう簡単ではないといい、その理由について、二点を挙げた。
ひとつは、公式の謝罪についてであり、日本の指導者たちが謝罪しないと非難することはできない。
この数十年間、彼らは繰り返し謝罪してきたからだ。
ふたつめには、安倍首相が本格的に謝罪するとしても、それが大いに役立つかどうか全く明白ではない。
それは、かえって事態を悪化させるかもしれない。
安倍首相がもっと謝罪をしても、それは東アジアにおける真の問題を解決しないだろう。
歴史をめぐる議論は、同地域の政治家たちによって、それぞれの国内目標のために利用されているからである。
歴史論議は、この地域では競合するナショナリスト的なアジェンダ(目標)をあおる。
それらは領土紛争をかき立て、実際的な外交上の解決を排除してしまう、と言う。
安倍氏をひざまずかせれば、北京とソウルでは万事うまく行くだろうが、東京では恐ろしいことになるだろう、と記事は書いている。
◆ 謝罪すべきは、元村山首相である
「村山談話」で、元村山首相は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明した。
さらに、「村山書簡」においては、未来志向の日韓関係を築き上げるためには、過去に対する痛切な反省が不可欠であるという、氏の揺るぎなき信念に基づき、深い反省と心からのおわびの気持ちを表明した。
その後の歴代の首相は、例外なく、この村山談話を継承してきた。
だが、現在の状況はどうか。
村山氏が期待したような状況になっているか。
韓国をはじめ、中国などと未来志向の関係を取り結ぶことができているか。
それは先にみた、ウオール・ストリート・ジャーナルの記事が詳しく分析している通りである。
私が思うに、今日のこのような状況を作り出した責任は、村山富市氏にこそある。
まず、だいいちに、自民党と組んで政権を作ったこと。このことが、自民党が今日まで生き延びるための延命措置になった。
もし、この時、村山富市氏が、はっきりと反対をしておれば、今日の自民党はなかったことであろう。
また、それまでの社会党の公約を破り、自衛隊の合憲と日米安保の堅持を表明した。これも、許されざる行いであった。
この時、「もうこれ以上、何が起きても驚かない」と嘆いた代議士がいたくらいである。
この3点セットが、今日の安倍首相の集団的自衛権の行使容認の閣議決定、安保法制へとつながっている。
だから、安倍首相に他国に向かっての謝罪の言葉を要求する前に、村山富市氏こそが、まず日本の国民に向かって、心からの謝罪をすべきである。
まるで自分は何の関係もないかのように、「村山談話」を引き継げ、謝罪しろ、というのは、それこそ無責任のそしりを免れない。
今日の日本の政治的混乱の結果を招いた責任は、村山富市氏にこそある。
(2015年5月19日)