2015年5月7日木曜日

政治は政治家が行うもの 素人が口を挟むべきことではない?

政治は、政治の専門家である「政治家」がするものである、というのが一般的な見方であろう。
そのための、代議制であろう。

もうかなり前のことになるが、日本の政治家が国民に向かって「黙れ」と暴言を吐くということが続いた。




≪国連の人権会議で「黙れ」と何度も怒鳴り声をあげた「大使」が更迭されたことがあった。
ネットなどで騒がれたことで、やむなく首を切った。
遅きに失した感はあったが、当然のことだった。
あの暴言でどれだけ日本の国益が阻害されることになったか、計り知れないものがある。

安倍首相は、任命責任を取らされるのが嫌で、延ばし延ばしにしてきたのであろうが、
もっと早くに決断すべきであった。
高市早苗、麻生太郎の発言が、大きな問題になっている。
いつの間にか立ち消えになった「ナチス」発言や「福島の事故での死者が出ていない」発言は、どう言い訳しようと許されるものではない。
この二人を残留させたことは、二人の力量を示すと言うより、安倍政権の「反国民的」性格を表すものである、とみるべきだろう。≫

今は削除してしまったのでブログ上には残ってはいないが、以前に、このような記事を書いた。
 
 
     
こういうことを言う政治家は、複雑な政治のことが政治の「素人」に、何が分るものか。
だから、次にくる言葉が、「黙れ」であると思う。


政治の素人である国民が、政治に口を出すことは、正しいことではないのだろうか。
政治理論や政治の歴史を知らなければ、出来ないことなのであろうか。

あるいは、「してはいけないこと」事なのであろうか。
事柄を、充分に検討してからでないと、発言することは許されないのであろうか。

思いつきで発言するのは、いけないことであろうか。
私はそうは思わない。

政治に限ってはそれが許される、というのが私の立場である。

自然科学に関することであれば、データの裏付けが必要であろう。
あるいは、論理的な飛躍があってはならないであろう。
また、反証による対実験も必要だろう。

政治に限っては、素人も、玄人ともない、と思うのである。
しかし、立場を明らかにしてさえしておれば、自由な発言が出来る、と思っている。



以前は、「・・・専門家」と言われる人を、すごい人たちであると思っていた。
だが、神戸震災に遭った事で、考えが一転した。

その後、増々その感が深まるばかりで、弱まる事がない。
とどめが、今度の福島での東電の事故だ。

民主党政権、自民党政権、各政党の政治家、高級官僚、原子力の学者・研究者、「教養人」と言われる人々が、何もできなかった。

参議院選挙では、重要な争点にするべきであったのに、どれだけ真剣に議論がなされたであろう。十分になされたとは、とてものこと、言えまい。

民主党政権は、全国に核物質をばら撒くことで、将来の病気の発症の時のための、「アリバイ作り」をした。

自民党は、それを阻止しようとはしなかった。
元々、原発は、自民党とその政府が推進してきたものだからであろう。

国会も十分には、機能していない。
事故調の報告だけで、事故の証人喚問もしていない。

原子力の学者・研究者は、事故が起こることを予測することさえ出来ず、結果、国民に多くの
苦難をあたえることになった。

高級官僚は、「絆」などという訳の分からない言葉を持ち出し、全国の国民に等しく「被ばくせよ」という態度に出た。
それは、ガレキ処理に際しての、国民への説明に象徴されている。

法律を曲げ、放射線量の規定を、引き下げたことは、明確な犯罪である。

その他に、住専問題、公金による銀行救済、検察の不祥事、地震予知の断念など、専門的な知識が必要とされる問題で、その無能ぶりを露呈させたことは、記憶に新しい。



現在の日本においては、専門家と言われる人々の権威は、地に落ちた。
マスコミも例外ではない。

彼らが何を言おうと、国民は、もう信用しない。

今は、第二の「自由民権運動」が始まった、と言っていいであろう。
あるいは、これから始まると言った方が正確か。

もう国民は「黙れ」と言われても、黙りはしない。
たとえ、「低級」な議論だと言われようと、やめない。

互いにーーたとえ、「低級」な議論だと言われようとーー 「真剣」な議論をし、今こそ日本を「国民の手に」取り戻そう。
もはや、アイマイにすることは、許されない。

ゴマカシも、だめだ。
大いに議論を重ね、前進しよう。

今こそ、新しい日本を再生するチャンスである。
逆境を、逆手に取るのだ。


特定秘密保護法が施行され、何とはなしに、国民が委縮してきつつあるように感じる。
ツイッターを見ても、それを感じる。
それとも私だけが、感じることであろうか。

国民が、何となく不安を感じ、自己規制をする。
それこそが、相手の思う壺にはまることである。


(2015年5月7日  18:15)