それは同時に、安倍首相にとっては、祖父である岸信介の悲願を完成することでもあろう。
◆ 1960年の改定により相互的な条約になった
そこで、まず、安保条約について、改めて、見てみたい。(これ以後、二つの安保条約について述べる。紛らわしいので、51年締結のものを旧安保条約、60年締結のものを新安保条約、と呼ぶ事にする。)
現在の新安保条約は、1960年(昭和35年)1月19日に結ばれた。
これは、1951年(昭和26年)9月8日に結ばれた、旧安保条約を全面的に改定したものである。
日本が、主権を回復したのは、1952年(昭和27年)4月28日。
だから、旧安保条約が結ばれた時、日本国は、まだ米軍の占領下にあった。
その旧安保条約は、おおざっぱに言えば、日本を守るために、米軍基地を日本におき、自由に使わせる目的で結ばれた、ものである。
それは、新安保条約が予定しているような、相互的なものではなかった。
それが、1960年の改定で、相互的なものになった。
ここで、条文をみてみると_。
重要なものは、第3条と第5条。
・第3条:締約国は、個別的及び相互に協力して、継続的かつ効果的な自助及び相互援助により、武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力を、憲法上の規定に従うことを条件として、維持し発展させる。
・第五条:各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する。
◆ 新安保条約で、日本と米国が軍事同盟国になった
上の二つの条文は、旧安保条約には、まったくなかった。
第3条が入ることで、新安保条約は、日本と米国が、文字どうりの軍事同盟国となった。
第5条は、「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃』と規定されており、この条約が作動する地域を限定している。
だが、どちらも、条件が付けられている。
それは、日本も、米国も、自国の憲法の規定に従って、行動する、という事である。
日本の場合には、第9条がある。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 項は、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
この規定をそのまま読めば、どこをどう読もうと、軍隊も、軍事力も持たない、としか読めない。
それを歴代の日本の政権は、なんのかんのと理屈をつけて、自衛隊という名の「軍隊」を持ち、今日では、日本の施政下をこえて、行動範囲を広げてきた。
だが、その限界が来た。
日本国憲法下では、これ以上の自衛隊の海外での行動は、出来ない。
日本国憲法下では、新安保条約が予定している「本来」の集団安全保障の原則が働かない。
そこで、自国の憲法の規定に従って行動する、という規定を実質的に改定する。
この規定をなくしてしまおう、というのが、今回の安保法制案のめざすところである。
◆ 今回の安保法制案では、新・新安保条約である
集団的自衛権の行使を容認することにより、第3条の「個別的及び相互に協力して、継続的かつ効果的な自助及び相互援助」を、何の条件もなしに(3要件という、政府の約束が守られるという保証はどこにもない)、おこなえるようにした。
海外派兵においては、地域を限定しないことで、第5条の「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃」という規定をはずした。
つまり上に示した新安保条約は、次のような条文に変えられたことになる。
・第3条:締約国は、個別的及び相互に協力して、継続的かつ効果的な自助及び相互援助により、武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力を、維持し発展させる。
・第五条:各締約国は、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、共通の危険に対処するように行動することを宣言する。
これが実現すれば、日本の自衛隊は、世界のどこにでも出ていって、行動をとることができるようになる。
米国が攻撃されたとき、日本が、ともに軍事行動をとることができるようになる。
このことが何を意味することになるのか。
それは多言を要しないであろう。
日本国や日本人の安全保障にとって、どれほど危険なものになるかは、あきらかなことであろう。
(関連サイト案内)
・谷垣自民幹事長、安保法案に理解不十分=二階氏は「徹底審議必要」=時事ドットコム
・重要影響事態、南シナ海も?=恣意的運用に懸念-安保法制=時事ドットコム
(2015年5月30日)