22日の会見で、集団的自衛権の行使に関連して、「他国の領域における武力行動であって、新3要件に該当するものがあるとすれば、憲法上の理論としては、そのような行動をとることが許されないわけではない」と、菅官房長官が発言した。
このことについて、日本国憲法、安保条約、国連憲章を参照しながら、考えてみたい。結論から先に言うと、他国の領域における武力行使を、日本国憲法は許してはいない。
・菅長官「他国領域での集団的自衛権行使あり得る」(←元記事はここ)
◆ 日本国憲法、安保条約、国連憲章の規定は、こうなっている
まず、安保条約から。
正式名称は、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」
である。
この条約自体が、集団的自衛権の行使を前提としている。
そのことは、以下の条文をみれば、あきらか。
・第3条
・第6条
次に、国連憲章について。
他に取り上げるべき条文があるが、集団的自衛権についての重要な規定は、この2条であろう。
・第43条 1
◆ 国連への加入は、日本国憲法の改正が必要だった
上の条約、法律は、効力が発生した順にいえば、国連憲章→日本国憲法→安保条約となる。
我が国は現在、国連加盟国になっている。
その国連の基本法といえる国連憲章が、第43条、第45条で、全加盟国に対し、軍事的供用を要求している。
だから、本来であれば、第43条、第45条を守るべき義務がある。
もちろん、国連憲章は、この義務を加盟国の憲法上の手続きによる、としている。
そうなると、我が国としては、日本国憲法の第9条が関係してくる。
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、永久にこれを放棄する。
念のいったことには、わざわざ、「国際紛争を解決する手段としては」という但し書きまでつけてある。(これは、GHQ案にはなかった文言だが、最終段階で日本側が、さりげなく「押し込んだもの」である、といわれているが、このことに関しては今は問題にはしない。=この文は、間違っているので、訂正して、お詫びします。実際には、「前項の目的を達するため」という文章のことでした。2015年5月26日)
さらに、第2項で、戦力の不保持をうたい、国家としても交戦権を放棄する、と規定する。
この条文については、いろいろな解釈の仕方、観方がある。
いずれにしても、国連憲章と、日本国憲法との間には、重大なソゴ(くいちがい)がある。
だから、本来なら、国連に参加するのであれば、日本国憲法を改正してから、加入すべきであった。
国連憲章が、集団的自衛権の行使を行うことを、はっきりと明示しているのであるから。
日本国憲法を素直に読めば、国連への加入は、憲法違反である、という事になる。
◆ 安保条約が予定しているのは、日本国の施政の下にある領域のみ
次に、安保条約との関係を観る。(なお、いわゆる「ガイドライン」との関係も重要であるが、その点については、別の機会に論じたい。)
第3条は、相互に協力して他国に対抗するために武力を整えるとなっており、集団的自衛権を予定している。(これは、旧安保条約にはなく、改定後にこうなった。この改定を行ったのが、安倍首相の祖父の岸信介である。)
第6条は、日本を防衛するために、日本に米軍基地を置くことの根拠となる規定である。
問題は、第5条。
この条文こそが、菅長官の発言が、いかに無責任な発言であるかという事を証明している。
条文は、注意深くも、集団的自衛権の行使の範囲を、「日本国の施政の下にある領域における」と限定している。
これは、米軍からすれば、当然の規定であろう。
米国に押し付けられたといわれる、日本国憲法の内容を米国が知らないわけがない。
当然、日本にできることと、出来なことがあることぐらいは、先刻、承知のことだ。
だから、わざわざ、「自国の憲法上の規定及び手続に従つて」と、但し書きを付け加えている。
閣議決定が言う、3要件がいくら成立しようとも、それが、「日本国の施政の下にある領域」で起こったことでない限りは、武力行使は出来ない。
このことは、安保条約の規定からも、明らかなことである。(この安保条約そのものについて、日本国憲法とのソゴがあるという議論は、ここでは問題にはしていません。あくまで、理念としては、そうなる、という事を述べています。)
もちろん、日本国憲法が、国家の交戦権を否定しているであるから、憲法上もできないことは、当然のことだ。
これを、憲法上の理論としては、そのような行動をとることが許される、などということ事体、大きな事実誤認がある。
先日の党首討論で安倍首相の『ポツダム宣言』に関する答弁が問題になっているが、菅長官も安保条約の規定を読んだことがないのではないか。
まさか、日本国憲法を読んでいない、というようことはなかろうが、怪しいものだ、という気がする。
◆ 日本国憲法を遵守するのは、重要な義務
憲法議論を持ち出すまでもなく、国会議員や国家公務員が日本国憲法を遵守するのは、重要な義務である。
もちろん、他国との条約を誠実に守ることも、大切なことだ。
たとえは、よくないかもしれないが、「水は低きに流れる」ということがる。
上が(お上)順法精神をなくせば、しもじも(国民)もそれにならうであろう。
「瓜田(ウリがなっている畑)に靴を納れず 李下(スモモの木の下において)に冠を正さず」ということわざもある。
国民が不信感を持つような言動は、げんに慎むことが、内閣官房を預かる者の務めであろう。
※ なお、この記事は、「他国の領域での武力行使」という事に焦点をおいて、いる。集団的自衛権の行使自体が、日本国憲法下において許されるかどうかという問題自体を、論じたものではありません。
それについては、ほかの記事で論じていますから、参考にしてください。
(2015年5月24日)
このことについて、日本国憲法、安保条約、国連憲章を参照しながら、考えてみたい。結論から先に言うと、他国の領域における武力行使を、日本国憲法は許してはいない。
・菅長官「他国領域での集団的自衛権行使あり得る」(←元記事はここ)
◆ 日本国憲法、安保条約、国連憲章の規定は、こうなっている
まず、安保条約から。
正式名称は、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」
である。
この条約自体が、集団的自衛権の行使を前提としている。
そのことは、以下の条文をみれば、あきらか。
・第3条
締約国は、個別的に及び相互に協力して、継続的かつ効果的な自助及び相互援助により、武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力を、憲法上の規定に従うことを条件として、維持し発展させる。・第5条
各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。
・第6条
日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。
次に、国連憲章について。
他に取り上げるべき条文があるが、集団的自衛権についての重要な規定は、この2条であろう。
・第43条 1
国際の平和及び安全の維持に貢献するため、すべての国際連合加盟国は、安全保障理事会の要請に基き且つ一つ又は二つ以上の特別協定に従って、国際の平和及び安全の維持に必要な兵力、援助及び便益を安全保障理事会に利用させることを約束する。この便益には、通過の権利が含まれる。
・第45条
国際連合が緊急の軍事措置をとることができるようにするために、加盟国は、合同の国際的強制行動のため国内空軍割当部隊を直ちに利用に供することができるように保持しなければならない。これらの割当部隊の数量及び出動準備程度並びにその合同行動の計画は、第43条に掲げる一又は二以上の特別協定の定める範囲内で、軍事参謀委員会の援助を得て安全保障理事会が決定する。
最後に、日本国憲法。
この条文は、改めて示すまでもなく、すでに広く国民に知れ渡っていることである。
・第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
◆ 国連への加入は、日本国憲法の改正が必要だった
上の条約、法律は、効力が発生した順にいえば、国連憲章→日本国憲法→安保条約となる。
我が国は現在、国連加盟国になっている。
その国連の基本法といえる国連憲章が、第43条、第45条で、全加盟国に対し、軍事的供用を要求している。
だから、本来であれば、第43条、第45条を守るべき義務がある。
もちろん、国連憲章は、この義務を加盟国の憲法上の手続きによる、としている。
そうなると、我が国としては、日本国憲法の第9条が関係してくる。
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、永久にこれを放棄する。
念のいったことには、わざわざ、「国際紛争を解決する手段としては」という但し書きまでつけてある。(これは、GHQ案にはなかった文言だが、最終段階で日本側が、さりげなく「押し込んだもの」である、といわれているが、このことに関しては今は問題にはしない。=この文は、間違っているので、訂正して、お詫びします。実際には、「前項の目的を達するため」という文章のことでした。2015年5月26日)
さらに、第2項で、戦力の不保持をうたい、国家としても交戦権を放棄する、と規定する。
この条文については、いろいろな解釈の仕方、観方がある。
(注①)私見では、二度と日本が米国にはむかう事が出来ないようにするためである。原爆に対する報復をおそれて、日本に対し、戦争をする武力を持たせないためである、という見方も成り立つ。
いずれにしても、国連憲章と、日本国憲法との間には、重大なソゴ(くいちがい)がある。
だから、本来なら、国連に参加するのであれば、日本国憲法を改正してから、加入すべきであった。
国連憲章が、集団的自衛権の行使を行うことを、はっきりと明示しているのであるから。
日本国憲法を素直に読めば、国連への加入は、憲法違反である、という事になる。
◆ 安保条約が予定しているのは、日本国の施政の下にある領域のみ
次に、安保条約との関係を観る。(なお、いわゆる「ガイドライン」との関係も重要であるが、その点については、別の機会に論じたい。)
第3条は、相互に協力して他国に対抗するために武力を整えるとなっており、集団的自衛権を予定している。(これは、旧安保条約にはなく、改定後にこうなった。この改定を行ったのが、安倍首相の祖父の岸信介である。)
第6条は、日本を防衛するために、日本に米軍基地を置くことの根拠となる規定である。
問題は、第5条。
この条文こそが、菅長官の発言が、いかに無責任な発言であるかという事を証明している。
条文は、注意深くも、集団的自衛権の行使の範囲を、「日本国の施政の下にある領域における」と限定している。
これは、米軍からすれば、当然の規定であろう。
米国に押し付けられたといわれる、日本国憲法の内容を米国が知らないわけがない。
当然、日本にできることと、出来なことがあることぐらいは、先刻、承知のことだ。
だから、わざわざ、「自国の憲法上の規定及び手続に従つて」と、但し書きを付け加えている。
閣議決定が言う、3要件がいくら成立しようとも、それが、「日本国の施政の下にある領域」で起こったことでない限りは、武力行使は出来ない。
このことは、安保条約の規定からも、明らかなことである。(この安保条約そのものについて、日本国憲法とのソゴがあるという議論は、ここでは問題にはしていません。あくまで、理念としては、そうなる、という事を述べています。)
もちろん、日本国憲法が、国家の交戦権を否定しているであるから、憲法上もできないことは、当然のことだ。
これを、憲法上の理論としては、そのような行動をとることが許される、などということ事体、大きな事実誤認がある。
先日の党首討論で安倍首相の『ポツダム宣言』に関する答弁が問題になっているが、菅長官も安保条約の規定を読んだことがないのではないか。
まさか、日本国憲法を読んでいない、というようことはなかろうが、怪しいものだ、という気がする。
◆ 日本国憲法を遵守するのは、重要な義務
憲法議論を持ち出すまでもなく、国会議員や国家公務員が日本国憲法を遵守するのは、重要な義務である。
もちろん、他国との条約を誠実に守ることも、大切なことだ。
たとえは、よくないかもしれないが、「水は低きに流れる」ということがる。
上が(お上)順法精神をなくせば、しもじも(国民)もそれにならうであろう。
「瓜田(ウリがなっている畑)に靴を納れず 李下(スモモの木の下において)に冠を正さず」ということわざもある。
国民が不信感を持つような言動は、げんに慎むことが、内閣官房を預かる者の務めであろう。
※ なお、この記事は、「他国の領域での武力行使」という事に焦点をおいて、いる。集団的自衛権の行使自体が、日本国憲法下において許されるかどうかという問題自体を、論じたものではありません。
それについては、ほかの記事で論じていますから、参考にしてください。
(2015年5月24日)