2014年5月1日木曜日

STAP細胞「騒動」考(1)自然科学論文と著作物と著作権について。

相変わらず、S
TAP細胞に関する議論が、世間やネットを騒がせているようである。
そして、小保方氏に比較的、批判的であった、中山教授にまで、飛び火した様である。


私も、ツイートなどをして、切れ切れに意見を投稿してきましたが、この辺で私なりの意見をまとめてみたいと思います。

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最初に、科学論文と著作物及び著作権、について検討をしてみます。

結論を先に言っておきますと、自然科学論文は、著作物ではありません。
従って、著作権がありません。

まず、この事をしっかりと認識する事が大切である、と思います。
この事が理解されていないと、全ての議論がなり立たなくなります。

そして、この点の理解が十分ではないことが、今回の騒動に混乱をもたらしている原因である、
と思います。

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                                幸いなことに、自然科学論文と著作物及び著作権について、裁判所が判断を下した例がありますから、それを見てみたいと思います。

それは、平成17年4月28日の大阪高裁の判決であり、その判決文は、以下のように言っています。

『著作権法は,思想又は感情の創作的な表現を保護するものである・・・から,既存の著作物に依拠して創作された著作物が,思想,感情若しくはアイデア,事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において,既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には,翻案には当たらない・・・・』

ここでは、著作物とは何かについて、「思想、感情の表現」であると、明確に述べています。
そして、

『自然科学上の知見は表現それ自体ではないから・・表現それ自体の同一性が認められる場合であっても,当該記述が,表現上の創作性がないものであるときには,当該記述は著作権法の保護を受けることができない。・・

・・・自然科学上の知見等を読者に一義的かつ明確に伝達するために論理的かつ簡潔な表現を用いる必要があり,自然科学論文における表現は,おのずと定型化,画一化され,ある自然科学上の知見に関する表現の選択は,極めて限定されたものになる』

とのべ、自然科学の記述は、(思想、感情)表現に当たらない、としています。
つまり、著作物ではない、と言うことを認定しています。

さらに、だから、

『自然科学論文における自然科学上の知見に関する表現は,・・・明らかにされた物質の性質等の自然科学上の知見を定型的又は一般的な表現方法で記述しただけでは,直ちに表現上の創作性があるということはできず著作権法による保護を受けることができないと解するのが相当である。・・・
(そうではなく=投稿者)著作権法による保護を認めると,結果的に,自然科学上の知見の独占を許すことになり,著作権法の趣旨に反することは明らかである』(注①)

自然科学上の記述は、著作権はない、と結論しています。

まとめると、思想性、表現上の創作性がないものは、著作物ではない。
そして、自然科学論文における自然科学上の知見に関する表現は、著作物には該当しない。

だから、著作物でないのものは、著作権の保護を受けないので、自由に使うことが許される、と言っています。

この判決文からすれば、コピペは、自然科学論文に限っては自由である、と言うことになります。

自然科学論文には、著作権がない。
この事の認識が重要です。

そこに、科学者の倫理とか、人間の道徳性の問題とかが、入り込む余地は、ありません。
だから、今回問題にされている、小保方氏の「博士論文」にしても、全然問題ではない、と言う結論になります。

「盗用である」とか、「不見識である」とか、「科学者として許されないことである」というような数々の議論は、議論そのものが、誤解から生じたことであると言えるでしょう。

それは、小保方氏への不当な非難である、私は考えます。

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さて、この度の小保方氏の一連のSTAP細胞問題は、多くの課題や論点を、我々に投げかけたと思います。

余談ななりますが、自然科学の事で、多くの人が、居酒屋において堂々と、議論をするようなことが許されることが、今まであったでしょうか。

小保方氏は、このような議論を居酒屋などでも、堂々とすることが「許される」環境を作り出しましたた。

そのことだけでも、私は氏の功績は大きい、と感じます。

今回の「騒動」?で、日本の国民の中に、自然科学に対する一定の認識が定着するようになれば、
素晴らしい事である、と思います。

そして、自然科学が特別なものではなく、誰にでも、気軽に近づく事が出来るものである、という機会を作り出した、とするのなら、小保方氏は、十分に、自然科学の発展に貢献した、と言えると思います。

(注①)
科学技術論文の著作者人格権侵害が否定された事例
「大阪高等裁判所 平成17年4月28日判決」        水谷直樹

言語の著作物の翻案とは,既存の著作物に依拠し,かつ,その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ,具体的表現に修正,増減,変更等を加えて,新たに思想又は感情を創作的に表現することにより,これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。そして,著作権法は,思想又は感情の創作的な表現を保護するものである(2条1項1号参照)から,既存の著作物に依拠して創作された著作物が,思想,感情若しくはアイデア,事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において,既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には,翻案には当たらないと解するのが相当である(最高裁判所第一小法廷平成13年6月28日判決・民集55巻4号837頁参照)。

自然科学上の知見は表現それ自体ではないから,このことをもって直ちに被告論文が原告論文の複製又は翻案であるとはいえず・・・

表現それ自体の同一性が認められる場合であっても,当該記述が,表現上の創作性がないものであるときには,当該記述は著作権法の保護を受けることができない。・・

自然科学論文,ことに本件のように,ある物質の性質を実験により分析し明らかにすることを目的とした研究報告として,その実験方法,実験結果及び明らかにされた物質の性質等の自然科学上の知見を記述する論文は,同じ言語の著作物であっても,ある思想又は感情を多様な表現方法で表現することができる詩歌,小説等と異なり,その内容である自然科学上の知見等を読者に一義的かつ明確に伝達するために,論理的かつ簡潔な表現を用いる必要があり,抽象的であいまいな表現は可能な限り避けられなければならない。その結果,自然科学論文における表現は,おのずと定型化,画一化され,ある自然科学上の知見に関する表現の選択は,極めて限定されたものになる。・・・

したがって,自然科学論文における自然科学上の知見に関する表現は,一定の実験結果からある自然科学上の知見を導き出す推論過程の構成等において,特に著作者の個性が表れていると評価できる場合などは格別,単に実験方法,実験結果,明らかにされた物質の性質等の自然科学上の知見を定型的又は一般的な表現方法で記述しただけでは,直ちに表現上の創作性があるということはできず,著作権法による保護を受けることができないと解するのが相当である。・・・

著作権法による保護を認めると,結果的に,自然科学上の知見の独占を許すことになり,著作権法の趣旨に反することは明らかである。(判決文の、ほぼ全文をコピーしました。)

http://www.hanketsu.jiii.or.jp/hanketsu/jsp/hatumeisi/news/200511news.html

(2014・5・2  説明が不十分でしたから、大幅に改稿しました)