2014年5月12日月曜日

児島 襄 著『満州帝国』(Ⅰ)=「無主の地」と石原莞爾の構想

「日中戦争」について読んでいくうちに、満州について、調べてみたくなってきた。
張作霖に暗殺があり、満州事変が起こり、盧溝橋と続くわけであるが、これらは全く、別々に起きたことではない、ということが、解ってきた。


だが、これらの事を考える時、今までは、満州はいわば、「所与のもの」として、見てきていた。
満州事変が起きた後は、舞台は、「中国の内地」へと移っていく。

その後、ノモンハンがあるが、ノモンハン自体は、激しい戦闘ではあったが、局地的で、「中国の内地」での戦いには、それほどの影響はなかった。

だから、その後、肝心の満州からは、離れていく。
しかし、「満州を取ること」こそが、日本にとって「死活問題」であったはずである。

その満州を横において、「中国の内地」における戦争ばかりに、力が集中されていくこと、になるが、それは、本来の目的を見失うもの、であろう。

それを忘れて、目先にばかりとらわれたことが、「日中戦争」を泥沼に陥れた原因の一つともいえると思う。
 
それで、満州事変以後の満州は、いかなる世界であったのか。
そのことを調べてみたくなった。

また、以下の事にも関心がわいた。

何故満州に進出していこうとしたのか。
何を求めて、満州に行こうとしたのか。

満州で、何を実現しようとしたのか。
それは、結局いかなる結果を生んだか。

これらについても、改めて知りたいと思い、まず、この本を読んでみることにした。

  (目次)
無主の土地
奉天城
中村辰太郎大尉事件
事変前夜
昭和6年9月18日
朝鮮軍派兵
溥儀の天津脱出

アマゾンから届けられた本を手に取って、パラパラとめくってみると、やはり内容は「戦史っぽい」という感じだ。

特に、第1分冊目は、ほとんど、戦史である。
2冊目以降から、戦史でないような、項目も出てくる。

あらたな知識が得られそうである。


導入部の「無主の土地」では、その頃の満州についての、大まかなスケッチがしてある。

旅順は、かっては、ロシアが領有した場所。

日露戦争の戦果として、辛うじて、獲得した土地。
いわば、多くの兵士の「汗と血」と交換に、「手に入れた土地」であった。

その頃は、関東州といった。
そこを守る軍隊なので、「関東軍」と称した。人数は、1万人あまり。

その満州は、地下資源が豊富で、土地が肥えていた。
そして、国策会社である、南満州鉄道(満鉄)があった(資本の、50パーセントが日本の政府)。

満鉄は、道路、水道、電気、ガス、衛生、市場などが整備された、近代都市の建設をする。
そして、大連、旅順、奉天、長春などに、欧米式の「大和ホテル」を経営した。
また、各都市には、満鉄病院や学校なども設立、経営。

さらに、撫順、煙台の炭鉱、鞍山の鉄鉱を開発する。


当時の日本の人口は、約9、000万人
内地(日本の本土)に、約6、300万人。
あとの、2、700万人が、台湾、朝鮮、樺太,関東州、南洋群島の日本の領地に住んでいた。

だが、何処も、ほほ一杯になり、どこかに住む土地を求めていた。
そこで、目が付けられたのが、満州であった。

上で見たように、既に、満州は、開発が進んだ土地であった。
そこで、さらにそれを、徹底しよう、と考えた訳である。

それは、松岡洋介の「満蒙は、日本の生命線である」と言う言葉に代表される。
そして、それを計画し、実行しようと考えたのが、石原莞爾である。

彼は、航空機の重要性にも、いち早く注目した人でもあった。

そして、次の戦争は「日米ソ」が中心の戦争となる。
さらに、それに続く戦争は「最終戦争」となり、それは、米国と日本の戦争になる、という考えであった。

彼は、また、近代戦における戦争は、「消耗戦になる」と考えた。
消耗戦は、持久戦でもある、とも考えた。

だが、日本の内地には、それに耐えうるだけの資源が存在しない。

そこで、彼が目を付けたのが、満州であった。
つまり、彼の構想は、満州を占領し「最終戦争を勝ちぬくための兵器工場」にすることであった。

そして、それは、彼の頭に中だけにあったこと、ではなかった。
当時の指導者の多くが、考えたことであった。

それを、現実にしたのが石原莞爾であった。


その頃、中村辰太郎大尉事件が起きた。
満州奥地を軍事探索していた、中村辰太郎大尉が中国軍にとらわれ、殺害された事件である。

その前には、万宝山事件(中国人と朝鮮人農民とのいざこざ)が起きていた。
これらの事件で、満州では、排日機運が高まっていた。

一方で、日本国内でも、中村辰太郎大尉事件が明らかになり、反中国への動きも高まっていた。
「時は今」と考えた石原莞爾らは、決断した。
天皇の裁可なしで、関東軍を動かした。

だが、いざ、戦闘となると、軍部も、政府も、腰が据わらなかった。
満州事変が、日中戦争へと拡大することを恐れた、のであった。

朝鮮軍が救援に行くことも、現地の勢いに押されて「渋々」認めた。
天皇も、裁可したが、「次から注意せよ」と述べた。

児島は、「関東軍にとって”真”の敵は、・・・むしろ日本政府であった・・』と書く。

やがて、石原らは、溥儀を満州に連れてくる。(1分冊目、ここまで)


図書メモ :
                            
著者          児島 襄 
全           345ページ
発行所        文芸春秋 (分春文庫版)
発刊         1983年    第1刷    
区分         アマゾンで、「古書」として購入  

(2014年5月12日)