2014年5月9日金曜日

児島 襄著『天皇』第4巻…戦争前夜から、ミッドウェー作戦まで

この巻では、ノモンハン事件、以後が扱われています。
昭和天皇が40歳の頃の話です。

昭和天皇の「機嫌
が良かった」ころの話です。
戦争が本格化する時代と、天皇の言動が描かれています。
   *     *      *
              <目次と主な内容>
ノモンハン事件・・・ソ連との戦争。1939年5月。
第二次大戦…1939年9月。
世界の孤児…日米通商条約の破棄。1940年1月。
桐工作…重慶政府(蒋介石)との講和工作。
陸軍の倒閣工作…米内内閣への倒閣工作
三国同盟・・・日・独・伊の軍事同盟の条約の調印。1940年9月7日。
西園寺侯爵の死…最後の「元老」の死去。1940年11月24日。
昭和16年春・・・国家の針路の決定と政策立案。
開戦前夜・・・南進(対米英戦)か北進(対ソ連戦)か
12月8日…真珠湾攻撃。米国との戦争の始まり。1941年。
ミッドウェー…日本海軍、最初の敗北。国民に知らせず。1942年6月5日。(青字は目次

三国同盟、汪兆銘政権の樹立による「和平工作」が進む中、ノモンハン事件が起きた。
ソ連と外蒙古との国境で争いである。

軍部は、事件を大きくするつもりはなかったが、またも出先の機関の暴走により、事を大きくした。

ソ連は、ジューコフ中将の作戦により、日本軍をわざと越境させて、これを「たたく」計画を立てていた。
それを知らない関東軍は、大敗することになる。

これも、ソ連軍の実力を過小評価し、日本軍の実力を過大評価した、結果であった。

その後、平沼内閣が倒れ、次の組閣について、天皇は「[いずれも不同意なり、朕の信頼するものを任命すべし」と、いつになく「甚だ烈しきお言葉」で、のべた。

ドイツが、戦端を開いた。第二次世界大戦の始まり、であった。
汪兆銘の工作は、はかどらない。
堀場中佐の見解では、原因は、ノモンハンにある。

また、天皇は、ノモンハンの敗退について「総長も(責任)を取るが良し」と述べた。

日米通商条約の期限が迫っていた。
米国は、1940年7月に条約の廃棄を予告してきた。翌年、1月、条約は失効した。

斉藤代議士の反軍演説。
シナとの戦争は、「何がその目的か」、と問われ、政府は、まともに回答できず。
議会は、斉藤代議士を除名処分にする。
議会における「言論の自由」の封殺は、「議会の死」を意味する。

「桐工作」とは、重慶の蒋介石への和平工作、を言う。
これは、蒋介石に拒否され、失敗に終わる。

米英との友好関係を重視する、米内内閣の倒閣運動が起きる。
やがて登場した近衛内閣は、「軍部をコントロールする政治」が実施できる、と期待されていたが、そうはならなかった。

そして、近衛内閣が承認した「時局処理要綱」は、「日独伊三国同盟、日ソ中立条約、広範な軍需動員、そして、日米開戦」という、その後の流れを、決定づけるものであった。

ドイツの快進撃は、日本の南進政策を決定的にした。
ついに、米国との戦争が、開始されることになる。

近衛の意思に反して、「大政翼賛会」は、日本から政治を失わせ、「無政府状態」をつくりだしていた。

日米開戦に反対であった、山本大将は、「自分は・・長門の艦上で討ち死にするだろう。その間に東京辺りは三度ぐらい丸焼けにされて、非常なみじめな目にあうだろう・・・」とのべる。

真珠湾の奇襲攻撃は「成功」した。
だが、それは「徹底を欠いたもの」であった。

何故、軍部は山本大将に真珠湾攻撃を指揮させなかったのか。不思議である。
大将が指揮していれば、もっと、「徹底した攻撃」になっていた、であろう。

ここでも、軍部の戦争に対する「真剣さの欠如」がある、と言う気がする。

その後の日本軍は、チャーチルが予想したように、「しばらく」は快進撃を続ける。

だが早くも、1942年4月18日、米軍の「ドォリットル隊」の東京空襲を受けた。
ハルゼー大将の作戦では、深夜の予定であったが、日本に知れたので、白昼の空襲となった。
 
川崎、名古屋、四日市、神戸なども空襲された。
ハルぜーは、陸軍の飛行機を空母に載せていた。

日本には、このような発想が出来なかった。
もし、出来ていれば、ラバウルから、飛び立つ必要がなかったのに。

予定通り、深夜の空襲となっていたら、あるいは皇居も焼かれていたかも知れない。
そうなれば、その後の戦争の行方も変わっていた、であろう。

ミッドウェー作戦は、アリューシャンへの攻撃を含み、またも、「二面作戦」であった。
そして、この作戦は、真珠湾の時のような緊張感がなかった。

真珠湾での成功が、「兜の尾を閉め忘れ」させていた。
山本大将も同様であった。

戦後に、戦闘に負けた理由が、「あれこれ」と言われている。
だが、私は、「この油断とおごり」が、最大の原因である、と思う。

海軍は、「大本営政府連絡会議でも、・・・戦況をぼかし」た。

当然に国民には、「ほんとうの所」は知らされなかった。
以後、いわゆる「大本営発表」が続くことになる。

「虎の子の空母」を4隻、真珠湾で活躍した、多くの優秀な「飛行機乗り」を失ったことで、戦争能力をほぼ失った。
 
思うに、ここで、戦争をやめるべき、であった。

しかし、国民にミッドウェ―の敗北の実体を、知らせることをしなかった以上は、「無理な事」であった、と言い得る。

次は、最後の5巻に入る。
最近、ようやく、全体の流れが、理解できるようになってきた。

このあとに読むことを予定している、「満州帝国」と「東京裁判」が、アマゾンより届いた。図書メモ*


著者        児島 襄 
全         383ページ
発行所      文芸春秋 
発刊       1974年    第1刷    
区分       アマゾンで、「古書」として購入