2014年5月10日土曜日

児島 襄著 『天皇』第5巻…アッツ島の全滅から終戦まで

『天皇』の最後の巻です。
敗戦に次ぐ敗戦の状況下の日本軍が、描かれています。


それにしても、いつまでも決定を下すことが出来ず、ズルズルと戦争を引き伸ばし、あげくの果てには、ソ連に仲介を求めるなど、日本政府の混乱状況は、目を覆うものがあります。

戦争を始める前に、講和の準備をしていた日露戦争との違いを考えると、時代が進んでも、それに伴って人間の意識までは、進むとは言えない、ことがよく理解できました。

≪目次≫
天皇と東條英機    アッツとキスカ      中野正剛自決
タワラの戦い      統帥権をめぐって    サイパン失陥
東條内閣総辞職    レイテ決戦        最後の組閣
終戦への歩み     ポツダム宣言帝国の終焉

戦争の経過の要点。

山本長官の死。1943年4月18日。
千島列島のアッツ島、放棄決定。

部隊は、孤立無援後とされ、全滅する。
その後、キスカ島については、撤収が成功した。

米軍の「カエルとび作戦」がはじまる。
日本の本土空襲への道を切り開く、ものであった。

1943年11月25日、ギルバート諸島のタワラの日本軍が、全滅する。
1944年2月1日には、米軍が、マーシャル群島に上陸。

続いて、マリアナ諸島のサイパンへ、6月15日に上陸。
その後、7月6日には、日本軍が全滅した。

この戦闘で、日本軍は、大半の空母を失った。
この戦闘で、海軍は、戦争を継続する能力を、ほぼ無くした、ことになった。

7月21日、米軍がグアム島に、上陸。9月27、日本軍が全滅。
続いて、10月20日、米軍がレイテ島に上陸。フィリピン戦が始まる。

11月24日、B29による東京空襲が始まる。
以後、東京や日本の主要都市が、空襲を受ける。

1945年2月19日、米軍が硫黄島に上陸。3月1日、日本軍が全滅。
4月1日、米軍が沖縄に上陸。6月23日、沖縄の日本軍、全滅。

5月9日、ドイツが降伏。
8月6日、広島に原爆が落とされる。

8月8日、ソ連軍、満州に攻め入る。
8月9日、長崎に原爆が落とされる。

8月15日、天皇、ラジオ放送で「日本の敗戦」を国民に知らせる。
9月2日、降伏の調印をする。終戦。


この間の国内の動きと問題点。

中野正剛代議士、「謀略]の疑惑により逮捕。解放後、自宅にて、自決する。

東條、陸軍と海軍の、軍政と統帥事項の統合を行う。
しかし、この陸軍と海軍を統合しても、総合的な判断を下す最高責任者が存在しない、という欠点を解消することは出来ない。

それが出来るのは、天皇だけである。
が、憲法上、その形式上は、天皇は、内閣の輔弼を受けて、裁可をすることになっており、「国政への責任」を有しない。

総理大臣も、憲法上は、「法的な存在」からはずれていたから、誰も、「責任ある立場に立つ人間」がいなかった。

この事が、これ以後、米軍が有利に立ち、日本軍の戦況が悪化してくるにもかかわらず、いつまでも、戦争をやめることが出来ない、原因であった。

1943年の終わりごろには、国民の「天皇を誹謗する」ような声が高まって来た。
生活の苦しさなどから、それはやがて、天皇への怨嗟の声になっていった。

これは、その後、1944年の11月24日の、米軍のB29による東京空襲の始まり以後は、もっと大きくなっていった。

翌年にも、2月、3月と東京空襲を受けた。

特に、3月10日の空襲では、東京の下町一帯が、焼野原となった。
もはや、政府や新聞、ラジオの発表が、「まやかし」であることを、国民の多くが知る所となった。

天皇は、空襲で焼け野原になった現地を視察したが、[黒こげになった死体」はかたずけられており、惨状を見る事はなかった。

この惨状(かたずけられていない多くの死体)を、見れば、天皇も、もっと早くに、「終戦」を決意してたのではないか、と思われた。

天皇の感想は「・・・これで東京も焼野原になったね」であった。

5月24日と25日には再び,B29が東京を空襲した。
合計1000機に及ぶ航空機が飛来した。

東京は、かって、山本大将が予想した通りの惨状に見舞われた。
ドイツは、ソ連進攻に失敗した。
やがて、5月に降伏した。

ドイツが英国に勝利することを「当て」にして、戦争を始めた日本であったが、ドイツが負けた後も、戦争をやめようとはしなかった。

そして、いよいよダメと解ると、ソ連に助けを求めようとした。
日本への進出を目論んでいたソ連は、「和平を仲介」する気持ちは、初めから、なかった。

「のらりくらり」として、態度をはっきりさせなかった。

また、天皇の親書も、(日本は)米英が無条件降伏に固執する限りは、戦うほかなく「…人類の幸福のため・・・」に和平の仲介を希望する、と言う内容であった。

7月19日、ソ連にいる佐藤大使は、ソ連の仲介は望めない。
そして、最早、国体護持を条件に、降伏するよりほかなし、と打電してきた。

日本は、そのすぐ後の、7月27日に、日本はポツダム宣言が出たことを知ったが、これを「無視」することにした。

この宣言をめぐって、またも、政府も軍部も、紛糾する、ことになる。
結局は、原子爆弾とソ連の参戦がこれに解決を与えることになった。


この5巻の「長い物語」を読んで思うのは、天皇の「地位の曖昧さ」の事である。

天皇を、「神聖にして犯すべからず」と規定しておきながら、「国務大臣の輔弼を受けて」政治をおこなうが、「その責任は輔弼した国務大臣」がとる、ときめたことにある、と言う気がする。

「神聖にして犯す」事の出来ない「絶対的な存在」の天皇でありながら、「臣下」の進言によらなければ、「決定を下すこと」が出来ないなら、「絶対的」とはいえないであろう。

もちろん、天皇は「憲法によりて」統治を行うのであるから、大臣による「輔弼」までを規定する必要はなかった、と思う。

「法的な責任」から、自由であるようにしたかったのであれば、「憲法上の規定」は作るべきではなかった、と思う。

天皇という「超法規的」でありながら、「法規的」でもある、という二面性を有する「矛盾する存在」が、全てにおいて、問題の解決を、困難にした、ともいえる。 

図書メモ :
                            
著者        児島 襄 
全         458ページ
発行所      文芸春秋 
発刊       1974年    第1刷    
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