安保法案に「対案」は、必要ない。
シーザーであれば、「民主よ、お前もか」と、いうべきところだ。
民主党の岡田代表は、「状況が変わった」と述べて、民主党案の提出に含みを持たせる発言をした。
しかも、維新の党との「共同提出」も、考えている、という情報もある。
4) 民主党は、妥協すべきではない
民主党の岡田代表は、「状況が変わった」と述べて、民主党案の提出に含みを持たせる発言をした。
武力攻撃に至らない、いわゆるグレーゾーン事態に対処する領域警備法案で、維新の党との共同提出も視野に、週明け、民主・維新の政調会長が協議することになりそうだ。
断じて、このようことをしてはならない。
それは、安倍首相の術中に、はまることだ。
維新の党と、連携して「対案」をだすことは、断じて避けるべきだ。
維新の党の、バックには、橋下氏がいる。
現在の維新の党を、「実質的」に動かしているのは、「政界を引退する」と述べた、橋下氏だ。
その橋下氏は、安倍首相と会談をした。
橋下氏の意向は、安倍首相の意向でもある。
このように、言えるだろう。
この安保法案は、集団的自衛権の行使を容認すること、が目的である。
そのための法律の整備に、ほかならない。
安倍首相が、集団的自衛権の行使を容認すること、を決意したのは、米国の要求に従ってのことだ。
それは、「アーミテージ報告書」を読めば、よくわかることである。
なによりも、米国の議会における演説において、「夏までに成立させる」と約束したことが、たしかな証拠である。
また、安保法案は、国民の多くが、「憲法違反である」と、表明している。
国民の多くが、説明不足である、と感じている。
今国会で成立させるべきではない、と反対している。
今、「対案」をだして、「腰砕け」になることは、再び、大半の国民を裏切ることだ。
このような「愚策」は、断じて、選択すべきではない。
民主党は、最後まで、反対の姿勢を貫くべきである。
5) 安保法案とは、何か。その本質をあばく
集団的自衛権の行使を容認は、本来なら、憲法を改正しなければ、出来ないことだ。
日米安全保障条約も、「憲法の縛り」が、かけてある。
日米安全保障条約の、第5条では、
あくまでも、「自国の憲法上の規定及び手続に従つて」のことであり、なにも、無条件に、認めてはいないのである。
もし、無条件に集団的自衛権が行使できる。
そういうことであれば、日本の国土に、なぜ、「米軍の基地」が、存在するのか、という事になる。
日本は、憲法が、戦争行為を禁止している。
日本が独立したあとの、1951年から1954年までの間には、「自衛隊」は存在しなかった。
だから、その代わりに、1951年に独立すると同時に、「日米安全保障条約」(旧安保条約)が、結ばれた。その後、改定され、今日に至っている。
これは、「武力を持たない」日本に代わって、日本を守るためである。
「自衛隊」の存在自体が、「ぎりぎり」の解釈による。
その自衛隊が、海外に出てゆき、「世界のどこにおいても活動できる」とすれば、自衛隊の存在自体が、明白に「違憲」ということになる。
さて、ここで、「アーミテージ報告書」を、見てみよう。
アーミテージ報告書の、「防衛戦略:同盟の相互運用性に向かって」という章において、次のように記述されている。
「日本は、防衛能力は、十分にある。さらなる、2国間、3国間での連携を深める努力をすべきだ」
6) 「対案」を出すことは、安倍政権のやり方を容認することである
安保法制案に、「対案」は、必要がない。
「対案」を出すことは、安倍政権が進めようとしている、集団的自衛権の行使を認めることである。
それは、自衛隊が、「米軍と一体になって」、活動できるようにすることを、認めることである。
安倍首相は、いろいろのべているが、一番したいことは、「米軍と一体になって」、世界中のどこにおいても、自衛隊が活動できるようにしたい。
この一点に尽きる、と思う。
そのことで、オバマ政権や米国、世界の国々から、認められたい。
さらには、国際連合の「常任理事国入り」を、果たしたい。
そういうことではないか。
だが、はたして、それでいいのであろうか。
安倍首相のいうように、そのことで、日本の安全保障が、保たれ、向上するのであろうか。
近隣との関係が、さらに悪化する可能性はない、のであろうか。
世界は、安倍政権のこのような動きを歓迎するのであろうか。
むしろ、反対に、日本の安全保障を脅かす結果を招く、のではないか。
わたしは、集団的自衛権の行使を容認することは、決して、日本の安全保障に資するものにはならない。
むしろ、日本の安全を危うくするものである、と思う。
安保法制案の審議においては、安倍政権の「ナチス的なやりかた」を許すのか、それとも、それを認めないのか、という事でしかない。
繰り返すと、安保法制案に、「対案」は必要がないのであり、「対案」を出すことは、安倍政権のやり方を容認することである。
同時に、安倍政権を認めることである。
※ (上)(下)に分けたので、見出しの番号を、「通し番号」としました。
(2015年7月5日)
シーザーであれば、「民主よ、お前もか」と、いうべきところだ。
民主党の岡田代表は、「状況が変わった」と述べて、民主党案の提出に含みを持たせる発言をした。
しかも、維新の党との「共同提出」も、考えている、という情報もある。
4) 民主党は、妥協すべきではない
民主党の岡田代表は、「状況が変わった」と述べて、民主党案の提出に含みを持たせる発言をした。
武力攻撃に至らない、いわゆるグレーゾーン事態に対処する領域警備法案で、維新の党との共同提出も視野に、週明け、民主・維新の政調会長が協議することになりそうだ。
断じて、このようことをしてはならない。
それは、安倍首相の術中に、はまることだ。
維新の党と、連携して「対案」をだすことは、断じて避けるべきだ。
維新の党の、バックには、橋下氏がいる。
現在の維新の党を、「実質的」に動かしているのは、「政界を引退する」と述べた、橋下氏だ。
その橋下氏は、安倍首相と会談をした。
橋下氏の意向は、安倍首相の意向でもある。
このように、言えるだろう。
この安保法案は、集団的自衛権の行使を容認すること、が目的である。
そのための法律の整備に、ほかならない。
安倍首相が、集団的自衛権の行使を容認すること、を決意したのは、米国の要求に従ってのことだ。
それは、「アーミテージ報告書」を読めば、よくわかることである。
なによりも、米国の議会における演説において、「夏までに成立させる」と約束したことが、たしかな証拠である。
また、安保法案は、国民の多くが、「憲法違反である」と、表明している。
国民の多くが、説明不足である、と感じている。
今国会で成立させるべきではない、と反対している。
今、「対案」をだして、「腰砕け」になることは、再び、大半の国民を裏切ることだ。
このような「愚策」は、断じて、選択すべきではない。
民主党は、最後まで、反対の姿勢を貫くべきである。
5) 安保法案とは、何か。その本質をあばく
集団的自衛権の行使を容認は、本来なら、憲法を改正しなければ、出来ないことだ。
日米安全保障条約も、「憲法の縛り」が、かけてある。
日米安全保障条約の、第5条では、
「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。」と、規定されている。
あくまでも、「自国の憲法上の規定及び手続に従つて」のことであり、なにも、無条件に、認めてはいないのである。
もし、無条件に集団的自衛権が行使できる。
そういうことであれば、日本の国土に、なぜ、「米軍の基地」が、存在するのか、という事になる。
日本は、憲法が、戦争行為を禁止している。
日本が独立したあとの、1951年から1954年までの間には、「自衛隊」は存在しなかった。
だから、その代わりに、1951年に独立すると同時に、「日米安全保障条約」(旧安保条約)が、結ばれた。その後、改定され、今日に至っている。
これは、「武力を持たない」日本に代わって、日本を守るためである。
「自衛隊」の存在自体が、「ぎりぎり」の解釈による。
その自衛隊が、海外に出てゆき、「世界のどこにおいても活動できる」とすれば、自衛隊の存在自体が、明白に「違憲」ということになる。
さて、ここで、「アーミテージ報告書」を、見てみよう。
アーミテージ報告書の、「防衛戦略:同盟の相互運用性に向かって」という章において、次のように記述されている。
「日本は能力形成や二国間及び多国間の対応を通して、これまで以上に防衛と軍事の外交手腕を発揮することができる。新たな役割と任務の見直しにあたっては、日本の防衛及び地域の緊急事態における米国との防衛を含めた日本の責任範囲を拡大すべきである。
最も喫緊の挑戦は日本自身の隣国だ。中国は、日本への度重なる周航を含む、東シナ海の大半、実質的な全南シナ海、人民解放軍と海軍の運用速度の劇的な増加を、主張或いは実践しており、これらは北京による『第一列島チェーン(日本、台湾、フィリピン)』 、もしくは北京が考える『近海』全体に対しての、より強大で戦略的な影響を与える意志を示している。
・・・・・米国海軍と海上自衛隊が歴史的に2国間の相互運用性を牽引してきた一方で、新たな環境はより強大な連帯と両国における部局横断的な相互運用性及び両国間の相互運用性を明確に必要としている。」ここで書かれている内容を簡単な言葉で言い表すとすれば、こうだろう。
「日本は、防衛能力は、十分にある。さらなる、2国間、3国間での連携を深める努力をすべきだ」
「同盟防衛協力の潜在力が増加した2つの追加地域は、ペルシャ湾での掃海作業と南シナ海の共同監視である。ペルシャ湾は極めて重要なグローバル貿易とエネルギー輸送の中核である。
ホルムズ海峡を閉鎖するというイランの言葉巧みな意思表示に対して、日本はこの国際的に違法な動きに対抗する為に単独で掃海艇をこの地域に派遣すべきである。南シナ海における平和と安定は、特に日本にとって大変重要な、もう一つの極めて重要な同盟利害である。」ここに、指摘されていることは、国会の審議においても、常に問題にされている場所だ。」安倍首相が、ペルシャ湾での掃海作業や南シナ海を持ち出すのは、ここでの、指摘があるからだ。
6) 「対案」を出すことは、安倍政権のやり方を容認することである
安保法制案に、「対案」は、必要がない。
「対案」を出すことは、安倍政権が進めようとしている、集団的自衛権の行使を認めることである。
それは、自衛隊が、「米軍と一体になって」、活動できるようにすることを、認めることである。
安倍首相は、いろいろのべているが、一番したいことは、「米軍と一体になって」、世界中のどこにおいても、自衛隊が活動できるようにしたい。
この一点に尽きる、と思う。
そのことで、オバマ政権や米国、世界の国々から、認められたい。
さらには、国際連合の「常任理事国入り」を、果たしたい。
そういうことではないか。
だが、はたして、それでいいのであろうか。
安倍首相のいうように、そのことで、日本の安全保障が、保たれ、向上するのであろうか。
近隣との関係が、さらに悪化する可能性はない、のであろうか。
世界は、安倍政権のこのような動きを歓迎するのであろうか。
むしろ、反対に、日本の安全保障を脅かす結果を招く、のではないか。
わたしは、集団的自衛権の行使を容認することは、決して、日本の安全保障に資するものにはならない。
むしろ、日本の安全を危うくするものである、と思う。
安保法制案の審議においては、安倍政権の「ナチス的なやりかた」を許すのか、それとも、それを認めないのか、という事でしかない。
繰り返すと、安保法制案に、「対案」は必要がないのであり、「対案」を出すことは、安倍政権のやり方を容認することである。
同時に、安倍政権を認めることである。
※ (上)(下)に分けたので、見出しの番号を、「通し番号」としました。
(2015年7月5日)
0 件のコメント:
コメントを投稿