2015年7月27日月曜日

「日米安保条約」再考 新安保条約が「双務的」は、欺瞞だ

旧安保条約の改定により、新安保条約は、「双務的」な条約になったと、言われる。が、それは欺瞞である。
それは、およそ「双務的」といえるようなの「代物(しろもの)」ではない。
「共同して、お互いの国の安全を守る」、という精神が書き込まれたものになっては、いない。

それについて、考えてみたい。

◆ 旧安保条約には、「在日米軍が日本を守る」とは、書いていない

「片務的条約」と批判された旧安保条約が、改定されたのは、1960年1月のことである。
旧安保条約は、第1条において、次のように規定する。

「平和条約及びこの条約の効力発生と同時に、アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその附近に配備する権利を、日本国は、許与し、アメリカ合衆国は、これを受諾する。この軍隊は、極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、並びに、一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によつて引き起された日本国における大規模の内乱及び騒じよう{前3文字強調}を鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる。」

旧安保条約は、この条文が「すべて」といってもよい、ような内容であった。
ここには、「在日米軍の基地を日本の国内に置くこと」を、日米双方で合意した。

そして、この在日米軍が、日本の安全に「寄与するために使用できる」と書き込まれている。
ただ、それだけである。

ここには、在日米軍が日本を守る、とは一言も書かれてはいない。
また、日本を守るために、在日米軍が存在する、とも書かれてはいない。

だから、これを「安全保障条約である」(仮に、「片務的条約」であったにしろ)などとは、到底言う事が出来ない「代物」であった。

旧安保の前文は、「無責任な軍国主義がまだ世界から駆逐されていないので、前記の状態にある日本国には危険がある。よつて、日本国は平和条約が日本国とアメリカ合衆国の間に効力を生ずるのと同時に効力を生ずべきアメリカ合衆国との安全保障条約を希望する」と書かれている。

そうであるなら、その危険から、日本を守るために、アメリカ合衆国は、在日米軍を日本に駐屯させるのだ、とはっきりと条文として書き込むべきであった。

もちろん、この条約を取り結ぶまでは、日本は、連合国の占領下(実質的には、米軍の)にあった。
日本が、サインした降伏文書には、「天皇、日本政府は、連合国の命令に、全てにおいて、従う」ことが、明記されていた。

だから、米国から押し付けられた、この旧安保条約を、拒否することは出来なかった、という事情がある。
サインをした吉田茂は、むしろ「歓迎した」

その実態がどうであれ、旧安保条約があることで、日本国の安全は、保障されるのだと、強弁してきた。


◆ 日本国憲法は、集団的安保を取り結ぶことを予定をしていない

それを、「双務的」な条約に改定したのが、安倍首相の祖父の、岸信介である。
はたして、世に言われているように、この改定で、「双務的なものになった」、といえるのであろうか。
もし、いえるとして、何が双務的になった、のであろうか。

新安保条約は、その前文には、次のように書かれている。

「国際連合憲章の目的及び原則に対する信念並びにすべての国民及びすべての政府とともに平和のうちに生きようとする願望を再確認し、
 両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、
 両国が極東における国際の平和及び安全の維持に共通の関心を有することを考慮し、
 相互協力及び安全保障条約を締結することを決意し、・・・」
この新安保条約は、国際連合憲章に基づくものである、と明確に述べている。
これは、国連の集団安全保障の一環としての役割を果たすものである、という事である。

もちろん、日本が国連に加盟したのは、1956年12月18日のことであり、この条約を結んだ後だ。
だが、この新安保条約が、国連の集団安全保障の一環であるという事は、第5条にも明記されている。

第5条は、次のようになっている。

「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宜言する。
  前記の武力攻撃及びその結果として執つたすべての措置は、国際連合憲章第五十一条の規定に従つて直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならない。その措置は、安全保障理事国が国際の平和及び安全を回復し及び維持するために必要な措置を執つたときは、終止しなければならない。」
前段は、3本の柱で構成されている。

①日本国の、施政の下にある領域における攻撃に限定する。
②自国の憲法上の規定及び手続に従う。
③共通の危険に対処するように行動することを、宜言する。

さて、では、日本国憲法は、②について、いかなる規定や手続きを、予定しているのであるか。
日本国憲法には、そのような規定や手続きに関して書き込んだ条約は、ない。

これは別に驚くべきことではない。
そもそも、日本国憲法は、旧安保条約にしろ、新安保条約にしろ、そのよう条約を取り結ぶことを予定をしていない、のだから。

また、③についても、「共同作戦をとり、相手の攻撃からまもる」とは、書かれてはいない。
いかにも、あいまいな規定である、といえる。 


◆ 新安保条約にも、「在日米軍が日本を守る」という条文はない

新安保条約においても、本質的には、旧安保条約と変わるところがない。
第6条では、米国のことが、書き込まれている。

「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される
 前記の施設及び区域の使用並びに日本国における合衆国軍隊の地位は、千九百五十二年二月二十八日に東京で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定(改正を含む。)に代わる別個の協定及び合意される他の取極により規律される。」
 この第6条と、第5条とで、「双務的」なものになった、といわれる。
だが、ここには、「安全に寄与」する。そのために、「施設や区域を使う事」が出来る。

書かれているのは、これだけのことである。
ここには、「アメリカ合衆国は、日本を守る」とは、一言も書かれてはいない。

それは、旧安保条約と同じことだ。
旧安保条約の第1条を、二つに分けたに過ぎない。

「飾り」をすこしつけて、第6条と、第5条に分けることで、あたかも、「双務的」なものになった。そのように、「偽装」をした。
その程度のものに過ぎない、のではないか。

その本質においては、旧安保条約と何ら変わるところがない。
こういっても、よいであろう。

旧安保条約にしろ、新安保条約にしろ、何ら変わるところがない。
「共同して、お互いの国の安全を守る」という、精神がない。

つまりは、こうだ。
アメリカ合衆国が、「日本を守ること」を、約束したものではない。
もちろん、日本が、「アメリカ合衆国を守ること」を約束したものでもない。


そもそも、日本国憲法のもとにおいて、相互的な安全保障条約を取り結ぶこと自体が、無理なことである。
そのような条約を取り結ぶことは、当然憲法に抵触することになる。

第9条や、憲法前文の文言からも、出来ることではない。
新安保条約は、日本国憲法に違反した条約である。

これらのことをしっかりと確認しておくことが、今日から参議院での審議に入った安保法案の是非を判断するに際して、重要なことなのではないか。

「新安保条約が合憲である」、という事を承認する限りにおいては、「個別的、集団的自衛の行使が容認される」、という事を否定する論理を組み立てるのは、「無理がある」と思う。


 加筆しました。
まだ、勉強中です。
過去の私がこのブログで書いてきたことと、矛盾することを書いたような気もしています。2015/7/28

(2015年7月27日)