2015年7月23日木曜日

参議院が、「良識の府」? 安倍首相がいうように「深い議論」が可能か

安保法案の強行採決を行った安倍首相。

その、安倍首相が言うように、参議院が「良識の府」で、参議院にいけば、「深い議論」が出来るのか。
はたして、今の参議院の議員にそのような議論が、期待できるのか。



そこで、参議院が、「良識の府」にふさわしいものになっているか、という事について、思うところを述べてみたい。


◆ 両議院の議員の「資質」に大きな違いがあるか

衆議院の特別委員会の構成は、議席に応じて配分された。
では、参議院の構成は、どうか。

国会法(第46条)によれば、委員会の委員の構成は、衆議院と同様に、議席数に応じて、配分されることになっている。

現在、両院での議席数は、公明党と維新の党が、入れ替わっているだけであり、その構成はあまり変わらない。
そうすると、審議の持ち時間は、衆議院の時とたいして、変わらないものになると、予想される。

次は、国会議員の「資質」が、衆議院と、参議院で違いがあるのか。
しかも、その差は、「歴然としたものであるのか」という事が、問題になる。

しかし、これは、そう簡単に出来ることではない。
だいいち、その比較をする際に、基準となる「物差し」が、ない。

現在、両議院の議員は、国民による選挙によって選ばれる。
その国政選挙において、両議院での違いが、はっきりとしているのは、立候補者の年齢の違いだけである。

ほかには、これといって、大きな違いといえるものはない。
参議院が、「良識の府」だといわれるからといって、そのことが直ちに、参議院の議員の「資質」が、衆議院の議員の「資質」を上回る、という証明にはならない。

議員一人一人の「資質」は、どの院に所属しているからという事で、判断することは出来ない。
このことに、異議を唱える人は、そう多くはない、と思われる。

もし、そうであるなら、参議院での審議が、―安倍首相が言うような―「深い議論」になるとは、―そう簡単には―言えない、と思う。


◆ 審議の場が参議院に移ったからといって、安倍政権の態度は変わらない 

次に問題になるのは、安倍政権の態度のことだ。

安倍首相は、「国民の理解が深まっていくように(自民)党を挙げて努力をしていきたい。丁寧な説明に力を入れていきたい」と述べたと記事は書いている。

だが、このことは、衆議院の審議のときからも、ずっと安倍首相が言い続けてきたことだ。
それにもかかわらず、大半の国民は、「説明不足だ。よく解らない。」と答えている。

安倍首相が、いくら「ていねいな説明に力を入れたい」と強調しようとも、これまでの態度が、急に変わるとは、到底思えない。
「はぐらかし」「質問とは、関係のない答弁をする」といった姿勢が、変わることはないであろう。

中谷大臣や、岸田大臣も、おなじことであろう。
肝心なところでは、答弁をせず、法制局長官にまかせたり、ほかの官僚に任せる、という態度が、変わるとは思えない。

また、法制局長官にしても、衆議院での議論より、「深い」答弁をするとも、思えない。
衆議院での答弁と違う答弁をすれば、今度は、そのことのほうが、問題となろう。

なによりも、谷垣幹事長の記者会見などでの発言が、象徴的だ。
衆議院での強行採決の前に、谷垣幹事長は、「「もう論点は出尽くしたと述べた。

この考えが、参議院に言った途端に変わるとは、これまた、思えない。
日米安保条約。
在日米軍基地、特に沖縄の米軍基地の問題。

これらのことについて、安保法案が成立したらどうなるのか、ということについての明確な意思表示を、安倍首相がすることはないであろう。
それでは、米国の戦争に巻き込まれる」という国民の不安を、解消することは、出来まい。


◆ 参議院議員に、「自由な討議」をする能力があるか

参議院は、衆議院での審議をチェックする機関として機能してこそ、その存在意義がある。
だが、現状はどうか。

自民・公明で、参議院での過半数を占める(自民党=115人、公明党=20人、過半数121議席)ような状況では、上に述べた機能は、働かない。

「党議拘束」をなくせば、そうはならない可能性があるが、衆議院でできないものを参議院ではできるとは、思えない。
これでは、質疑は、衆議院の時と同じことを繰り返すことになろう。

以前にも、このブログで取り上げて検討したが、今の議会で何よりもかけているのは、「自由な討議」である。

もし「良識に府」であるというなら、せめて、参議院においてだけでも、「自由な討議」を導入すべきだ。
もし、これができれば、参議院の持つ意味も、出てこよう。

いや、「自由な討議」を導入したところで、審議の内容が大きく変わることがない。
そもそも、「自由な討議」など、出来るわけがない。

そんな能力が備わった議員など、いない。
いても、ほんのわずかである。

そういうことであるなら、とても、「良識の府である」などといって、「威張る」ことは出来まい。
参議院は解散がなく、当選すれば、6年間は、その身分が保証される。

自分が得意とするテーマを選び、時間をかけて調査をし、さらに知識を深めることが出来るはずだ。
そうであってこそ、参議院にいる価値がある。

当選した。
これで6年間は、安泰だ。

もし、このような考えでいるとすれば、即刻議員を辞職すべきだろう。
「良識の府」にふさわしい能力が備わるように、日々研さんしてこそ、参議院議員としての価値がある。

そうでなければ、衆議院の「カーボンコピー」である、という批判に、有効な反論することも、出来ない。

 一部加筆しました。2015/7/26

(2015年7月23日)

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