2015年7月13日月曜日

緑が、一杯の田園から 戦争と「若い命」

 緑が、いっぱいの田園から、お届けします。
久しぶりで、帰郷しました。
見渡す限り、緑を目にすると、心が「ホッと」します。
心が「洗われる」気がします。



稲もよく育ち、「緑のジュータン」という形容が、ぴったりです。
このまま、実りの秋を、無事に迎えて欲しいものです。

いつ帰ってきても、やはり、ふるさとは、いいものです。
「故郷の山は、ありがたきかな」と思うほどには、まだ心は「くたびれ」ては、いませんが、自然と、この句が頭に浮かびます。

ご覧のように、山すそに「へばり付く」ように、農家が並んでいます。


これは、1枚目の写真の、反対側。
ここで、ほぼ、行き止まりです。(今は、トンネルが掘られていますが)

私が小さい頃は、行き交う自動車などは、ほとんど有りませんでした。
道路も、舗装されておらず、じゃり道でした。

道は広くなり、交通の便は、よくなりましたが、「時間が止まっている」ような、所です。
「のどかなこと」、この上もない、といった感じです。

それでも、かっての「戦争」と、無縁では、ありませんでした。
私の母親の兄弟は、3人も、「戦争に取られた」のです。

一人は、無事に帰ってきました。
しかし、後の二人は、「生きて帰ること」が、できませんでした。

上は、20歳。
下は、18歳でした。

しかも、もうすぐ戦争が終わろうかという、8月になっての、「戦死」でした。

今、安倍政権は、安保法制案で、「またぞろ」日本の国民に、私の母や祖母が味わった「苦しみや悲しみ」などを、「再現」させようとしています。

今度は、私の兄妹の「子供の子供ら」が、犠牲者と、なるかも知れません。
そのことを思うと、「いても立っても」おれない気持ちになります。

緑あふれ中で、のびのびと育っている、「この命」を、犠牲にしても、よいものでしょうか。

久しぶりの帰郷ですが、今の「進行中」の事態を、考えると、ノンビリとは、しておれません。

(2015年7月13日)

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