2015年4月26日日曜日

原爆投下機(エノラゲイ)の飛行記録の競売と米国議員らによる内政干渉(改題):

「戦後70年をテーマに戦争の遺品などのオークションが今月末にニューヨークで開かれるのを前に、原爆を投下した爆撃機の飛行記録が公開」された、と報じられている。
このオークションは、29日に行われる。





しかし、29日は、ただの普通の日ではない。
この日は、安倍首相が米国上院合同会議において、演説をする日でもある。
この「飛行記録の落札価格は最高で2400万円程度になる」と、落札価格までが、予想されているようだ。

今回の安倍首相の米国訪問について、オバマ政権は、首相を国賓級の扱いとして迎える、とも言われる。

そうであるならば、安倍首相が演説をする日を選んで、このようなオークションを行う意図はどこにあるのだろうか。
このようなオークションを行こなうこと自体、実は、米国国民は、安倍首相の訪米を歓迎していない、ということではないのか。
また、オバマ政権は、何故この時期に、このようなオークションを行こなうことを許すのか。





この、エノラゲイの飛行記録の展示・オークションは、戦勝国が戦利品を売る、というに等しい行為である。
しかも、それを日本の首相が、米国議会で演説をする当日に行うとは一体、どういうつもりなのか。

長崎、広島への原爆投下によって、10万人に超す日本の民間人が、一瞬のうちに焼き殺された。
現在の日本においては、今なお、この原爆の後遺症で苦しむ人が、存在する。

このようなエノラゲイの飛行記録の展示・オークションは、原爆投下により殺された人はもちろんのこと、今なお原爆の影響で苦しむ人々を、冒涜するものである。

米国においては、日本への原爆投下について、「やむを得なかった」と考える人が、国民の50%に上るという報告がある。
「侵略国の日本」への当然の報いである、と考える人が、まだまだ多いようだ。

私は、このような考えを持つ持つこと自体を否定しようというのではない。
それはあくまで、個人の自由にかかわる問題である、とは思う。
だが、その事と、エノラゲイの飛行記録のようなものを、売り買いすることとは別の問題である、と思う。

何よりも、人間の尊厳ということを考えた時、到底許されることではない、と思うのである。
米国の誇る自由を、私も尊重したい。
だが、到底このような行為は、許しがたい。


この度の米国での演説について、安倍首相に反省と謝罪を求める声が、米国議会などから要求されている。
また、米下院議員25人が、米国議会での演説で歴史問題について謝罪するよう求める書簡を、駐米大使に送付していた。

これは外交ルート通じてのことである。
また、米国議会の議員により行われたことであり、米国の一市民団体が行ったということではない。
このことは、外交ルールに背くものであり、明らかな内政干渉にあたる。

歴史感は、人により、それぞれである。
どういう歴史観を持つかは、個人の自由である。 

いかなる歴史観を持つかは、その人の内面の自由にかかわる事柄である。
いわば、良心に自由につながるものだ。

このことは、民主主義の根幹にかかわることであり、とても重要なことである。
近代の民主主義の原則は、個人の内面にかかわることは、誰であっても侵すことができない、ということにある。

そうであるにもかかわらず、米国の国会議員の立場あるものが、日本の首相に向かって、歴史認識を改めるような書簡を出すことは、重大な内政干渉にあたる。

また、このような書簡を出すこと自体が、日本国を見下げていることの証拠でもある。
もっと言えば、日本国を属国視するものである、と私は思う。


私は、このブログにおいて、安倍政権を批判してきた。
だが、そのことは、あくまで日本の、我々の将来を思ってのことである。
あくまで、日本の国益を考えてのことである。
だから、この記事に書いたような米国の行動には、到底納得がいかない。

(2015年4月26日)

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