2015年4月15日水曜日

政権によるメディア批判を許したら、民主主義は死滅する:

テレビ朝日と安倍首相官邸の「いざこざ」が表面化している。
自民党が、テレビ朝日に「圧力文書」を送りつけていた。
このことを双方が認めた、というニュース記事もでている。

これは、言論の自由に関わる問題である。
問題なのだが、その問題の本質は「どこにあるのか」について考えてみた。


 ★       
日本国憲法の第21条には、次のように記述されている。
「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

言論の自由が問題にされるとき、どうもこの条文に対する基本的な認識不足ーあるいは誤認と言うべきかーが、存在する気がする。

一体、誰が誰に対して保障するのか。
ところが現状の議論は、この「誰が」と言うところが省略されているのではないかと思う。
だから、間違いが起きてくるのではないか。

広く認識されているように、もともと憲法は国家権力への縛り、つまり命令である。
そうだとすれば、「誰が」というのは国家権力ー司法、立法、行政ーであり、「誰に」というのは、国民であるということになる。

ここが明らかにされれば、どこに問題の根源があるのかも、はっきりとする。
上の論理からすれば、報道機関には報道の自由を保障されるべき権利がある。
もちろん、それに伴う義務もある。

だが、それらの権利をどう行使し、どう義務を果たすかについては、報道機関が自主的に判断すべきことである。
たとえ私的な政党といえども、関与すべきことではない、ということになる。

まして現在、自民党は政権与党であり、安部首相はその自民党の総裁の地位にある。
党を代表する立場にある。

一国の首相を出している政権与党が、報道機関を一方的に呼び付けて話を聴くなどということが許されていいはずがない。

国家権力への言論の自由という観点からすれば、こう考えるのが自然ではないのか。


冒頭に書いたニュースの記事のツイートを読むと、いろいろな書き込みがある。
批判ーというより非難といったほうがよい-、賛成、反対など、いろいろなつぶやきがある。

それはそれでよい。
個人がマスコミの記事をどう受け取り、どう考えようとそれは自由である。

問題は、国民の代表である議会の動きにある。
果たしてこの問題に対して議会がどういう動きをするのか。
それを注視したい。

では、たとえ憲法に欠陥があったとしても、それが致命的な方向に働くのは、どういう場合か。
そのかぎを握るのが、人民の代表たる議会なのです。議会こそが、法の欠陥、制度の欠陥が露呈することを防ぎ、権力の暴走を防ぐ最大の力である。そのことをデモクラシーの歴史は教えています。

ところが、その議会が自分の任務を放棄してしまったら、どうなるか。
憲法や制度のなかに潜んでいた欠陥や矛盾は、ただちに現れて自由に羽ばたき始めるでしょう。そうなったら、もはや止める物はどこにもない。リヴァイアサンは解き放たれるのです。」

先年亡くなった小室直樹博士は、その著書『日本人のための憲法原論』において、このように指摘されている。

まさしく今の日本の政治状況は、氏が指摘されている通りになってきている。
自民党が議会において多数を占めた。そして、公明党がその多数派の自民党の補完勢力となっている。

こういうなかにあって、果たして議会が権力の暴走をふせぐ方向に動くかどうかは、疑問がある。

三権分立といいながら、政権与党が議会で圧倒的多数を占める中において、
議会が自分の任務をよく果たすことが出来るのか。
当然こういう疑問が起きる。

事の本質は、ここにある気がするのである。 

              〈追記〉

ブログの記事の更新を再開していますが、長らく記事を書いていなかったので、勘が鈍っています。
それでしばらくの間、ニュース批評という従来の形式は止めて、エッセイ風にまとめた記事の投稿に切り替えます。

以前と同様な記事の投稿を期待されていた読者の皆様には、申し訳なく思います。
今しばらく、時間を下さい。
従来の勘が戻れば、また元通りの記事の形式に致します。

〈2015年4月15日〉