2013年9月13日金曜日

五輪決定で、一儲けをたくらむ輩に、スポーツを論じる資格はない。

東京五輪が決まり、にわかにスポーツ熱が強まりそうである。
産経ニュースが、次のように報じた。
(2013/9/13  付け)


「2020年夏季五輪の東京開催決定を追い風に、スポーツ人口の拡大に期待が膨らんでいる。バブル崩壊以来、過去20年にわたってスポーツ人口の減少に歯止めがかからない状況が続いていたが、関係者は五輪効果を生かして、国民の“スポーツ熱”を高める絶好の機会ととらえている。」
この記事では、国民のスポーツ熱の尺度として、バレボール、サッカー、水泳をしたことがある人の割合を示す表を、取り上げている。
しかし、この表は、曖昧だ。過去1年間にスポーツをした人、となっているが、何回それを行ったのかが明記されていない。1回なのか、10回なのかが分らない。
まずは、こんないい加減な統計で、国民のスポーツ熱を測ること自体、間違いだ。
また、野球、ランニング、自転車、木刀の素振りなどでは、いけないのか。野球も、グランドで、9人そろってしないと、スポーツではないのか。
二人で行うキャッチボールではだめなのか。
たかだか━━そうなのである、たかだかという程度の事なのだ━━スポーツのことに、それほどカタぐるしいことを言うつもりは毛頭ないのだが、普段の運動は散歩や木刀の素振り程度しかしない身では、こんな悪態もついてみたくなる。
もとより、スポーツは誰かに強制されてするものではない。
だから、スポーツ人口の減少を嘆くのは、スポーツ熱がさめると困る人の論だ。いわば、スポーツで「飯」を食べていこうとする人の論だ。
民間のクラブの経営者や指導者、スポーツ品店、スポーツ品の製造会社、スポーツセンターの経営者といったところであろうか。
官では、各種のスポーツ振興団体の関係者、スポーツ行政に携わる役人。
これらの人は、スポーツ人口が減れば、自分らの仕事がなくなる。
従って、「飯の食い上げ」になる。それを恐れているだけであろう。
だから国民がスポーツをすることで、健康を維持しようと、しまいとどうでもいいことなのである。
彼らが願うのは、スポーツを通して、ひたすらに、お金や名誉を手に入れる事のみだ。

だいいち、国民がスポーツをしないといけない事なのか。
スポーツをしない国民は、ダメな国民か。
スポーツを奨励することは、役人の仕事か。国がするべきことか。
もしそうだとして、何のためにそうするのか。
国民に健康で長生きをしてもらいがたいめか。
スポーツをしないことで、病人が増えて、医療費がかさむことを避けるためか。
そんなことを気にせずとも良いのである。
大多数の国民は、ばかではない。
また健康で丈夫で、長生きをすることを願っている。それぞれに、そのための努力もしている。
国が口を出すことでなない。
五輪を契機に、またぞろ国民から税金を搾り取ろうとしているようだが、国民はそんなにバカではない
され証拠に、7年先の出来る抱出来ないかわからないことを、大騒ぎをしているのは、マスコミや、それに踊らされている「道化」ばかりだ。
さらには、今度の地震の実体から、国民の目をそらせたい「やから」のみだ。
大多数の国民は、覚めている。
国民の命を「へ」とも思わない政府や企業や役人にらさせらりたりはしない。
スポーツは気晴らしだ。(もしかすると人生も?)
もし、スポーツに目的があるとすれば、このこと以外にはない。
他の目的をもって、スポーツをすることは、スポーツへの冒涜である。そう思う。
(ここからは、ぐちだと思って聞いて下さい。

五輪が決まったことで、今後ますます「競技スポーツ」の横暴が、始まる予感がします。
今でさえ、スポーツのためなら、何でも許されると言う風潮が蔓延しています。

特にひどいのが、少年野球だと思います。
子供は何をしても許されとばかりに、近所迷惑も考えずに、大声を出します。
また、指導者のほうも、それを奨励しています。とにかく、「元気がいいのが、一番」だと言うことのようです。

それを、土曜日、日曜日のたびに毎週聞かされている近所の住民のことは、眼中にないようです。
また、いくら指導者が言っても聞かないのが、子供です。

しかも、元気な声を出せ、と言われ続けているのですから、無理もありません。
子供に状況判断など、望むべくもないことです。

それが証拠に、月に一度、大人が同じ場所でソフトボールの練習をしていますが、うるさいと思ったことは、一度もありません。
ボールを打ったり、受けたりする音が聞こえるだけです。

今は防衛手段として、窓をコンパネで完全に塞いでいます。
それでも、子供の声が聞こえてきます。
部屋が暗くなるし、一日電気をつけっぱなしです。
換気扇をつければいいのですが、音が入ってくるのが嫌で、付けていません。
エアコンで換気している状態です。

少し筆が滑りすぎました。

そういう訳で、7年後に活躍できる年齢のもの(競技種目にもよりますが)は、今11歳ぐらいから上の子供らでしょう。彼らは、元気で、うるさい盛りです。
その上、運動するのですから、自然と声が大きくなります。

実は声を出すとその分疲れるし、声を出さない方が力が出ることを、知らないようです。
指導者もそのことを教えないのでしょう。

そもそも指導者と言っても、昔にすこし競技をやったことがある程度でしょうから、スポーツ理論はもちろんの事、運動生理学なども知らないのでしょうから、無理もありませんが。

政府は文科相がいるのに、わざわざ、五輪相を新たに任命しました。
五輪庁の創設も考えているようです。

何故スポーツとなると、みんな興奮するのでしょうか。
何故、ごり押しが通るのでしょうか。

朝日新聞は戦前には、野球は学生の教育に悪影響を与えるから、やめさせるべきであるとの論陣を張ったことがあります。
その朝日新聞が、戦後には、一転して野球は教育にいいと、説を変え、今でも高校野球(年2回の甲子園野球)を主宰しています。

驚くべき変身です。
そして、今でも高校野球は、教育のために実施されているのだと、言い続けています。

おまけに丸刈りを強制する事も止めていません。丸刈りでないと、出場させないのです。
こんな前近代的な、封建的な事が今でも行われ、ほとんどの人は、そのことに異議を唱えません。
嫌なら出なければいい、で済ませれてしまうのです。

他の競技で丸刈りを強制されているようなスポーツがあるでしょうか。
丸刈りを強制する事と、教育的指導とはどう繋がるのでしょうか。

スポーツは自分の楽しみのためにするものだと思っている、投稿者には理解できません。

これからメダルを一つでも多くとることを目指して、色々と政府が動くことでしょう。
そんなにメダルを取ることが、国家にとって大事な事なのでしょうか。解りません。

スポーツがこのように、利用されることは、スポーツにとっても迷惑な事でしょう。
(追記  2013/9/14)