2013年9月12日木曜日

みのさんの受難、みのさん「死んで」テレビも死ぬか。

少し前にテレビを捨てた。
余りのドギツサに見続けるに堪えられなくなったからである。


同時に、新聞も取るのもやめた。
今は、読みたい時だけ、近くのコンビニで買う。

それで、いわゆる世間からは、疎くなってしまっている。
それでも、すこし前から、「みのさん」のことが、話題になっていたのは知っていた。

例のアナウンサーの件だ。
そして、今度の息子さんの事件である。

息子さんの事件そのものは、息子さん自身のことである。
大人なのだ。何もみのさんが、謝ることはない。

こういうことがあるとすぐに、道義的責任を持ち出すのが、大方の日本人の習性だが、そういうことはもういい加減になくすべきだ。

本人に全面的に責任のあることまで、その親にまで責任を及ぼすのは、過剰反応である。
日本においては、子供と大人の境目が、明確でないことの証明なのかもしれないが。

さて、こういうことが続くと、どうも胡散臭いものを感じないわけにはいかない。
最近の習性だ。

テレビがないので、最近のみのさんの「おもいっきりテレビ」での発言を知らない。
しかし、何かまずいことを言ったのではないかという気がする。

そうでなければ、タイミングが良すぎる。
みのさんの身の上に何か異変でも起きたのではないか。
そんな気がするのである。

何も証拠のない事なので、これ以上のことは、なんともいえないのだが。

みのさんへの評価は、色々であろう。
灰汁の強さも人一倍だ。

この先、みのさんがどう身の処置を取るのかは知らないが、もしテレビから身を引くようなことになれば、今後のテレビはますます詰まらないものになることであろう。

だれか、それを望むものがいるのかもしれない。
これが引き金となって今後、テレビの解説は、増々無色透明の、「人畜無害」の、どうでもいいものになっていきそうである。

みのさん「死んで」、テレビも死ぬか。

テレビよ、汝の日は数えられたり。
(改訂版)