前回の続き。日米安全保障条約(以下、安保条約といいます)について考えてみます。
安保条約は戦争に負けた日本が、アメリカの占領下より独立するにあたって、アメリカと取り結んだ軍事同盟である。
軍隊の武装解除を命ぜられた日本軍に代わり、日本を他国より防衛するために結ばれた条約である。
以下に、改定前の安保条約を貼り付けておきます。(1951年9月8日成立)
【前文
第一条(アメリカ軍駐留権)
第二条(第三国軍隊への協力の禁止)
第三条(細目決定)
第四条(条約の失効)
【第三条
締約国は、個別的に及び相互に協力して、継続的かつ効果的な自助及び相互援助により、武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力を、憲法上の規定に従うことを条件として、維持し発展させる。
第五条
各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。・・・・ 第六条 日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。(ウィキペディアより)】 * * * * *
本来軍事同盟というものは、片方が攻撃されたら、同盟国側も、一緒になって戦うことが基本である。
安保条約は戦争に負けた日本が、アメリカの占領下より独立するにあたって、アメリカと取り結んだ軍事同盟である。
軍隊の武装解除を命ぜられた日本軍に代わり、日本を他国より防衛するために結ばれた条約である。
過去に、英、独・伊、露と結んできた日本にとっては、4番目の軍事同盟だ。
1960年の改定の時には、死者まで出たいわくつきの条約だ。以下に、改定前の安保条約を貼り付けておきます。(1951年9月8日成立)
【前文
- 日本に独自の防衛力が充分に構築されていないことを認識し、また国連憲章が各国に自衛権を認めていることを認識し、その上で防衛用の暫定措置として、日本はアメリカ軍が日本国内に駐留することを希望している。また、アメリカ合衆国は日本が独自の防衛力を向上させることを期待している。平和条約の効力発行と同時にこの条約も効力を発効することを希望する。
- 日本は国内へのアメリカ軍駐留の権利を与える。駐留アメリカ軍は、極東アジアの安全に寄与するほか、直接の武力侵攻や外国からの教唆などによる日本国内の内乱などに対しても援助を与えることができる。
- アメリカ合衆国の同意を得ない、第三国軍隊の駐留・配備・基地提供・通過などの禁止。
- 細目決定は両国間の行政協定による。
- 国際連合の措置または代替されうる別の安全保障措置の効力を生じたと両国政府が認識した場合に失効する。
第五条(批准)
- 批准後に効力が発効する。 】 (ウィキペディアより)
- * * * * *
- 要するにこれは、米軍が日本駐留することを認めるための条約です。
- 日本に米軍の基地を置くための条約です。これによって、アメリカは日本中に、空・海・陸、海兵隊の基地を持つ自由を得た。もちろん、基地内は治外法権であり、日本人が自由に出入りすることはできない。これを簡単に言ってしまえば、米軍が日本を守るから、米軍が日本の国において施設や区域を利用することを許可せよ、というものである。
次は改定後の条約です。(1960年成立)問題の個所は、2条、3条、6条です。
締約国は、個別的に及び相互に協力して、継続的かつ効果的な自助及び相互援助により、武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力を、憲法上の規定に従うことを条件として、維持し発展させる。
第五条
本来軍事同盟というものは、片方が攻撃されたら、同盟国側も、一緒になって戦うことが基本である。
そうでないと、片方にばかり負担が行くということでは、同盟関係が長続きしない。
そのことが良く分っていた米国は、周到にも、「暫定措置として」という文言を入れるのを忘れていない。
つまりこの時点において米国は、いずれは日本が自国の軍隊を持ち、自国の防衛にあたることを、想定していた。
だが10年経過しても日本が軍隊を持とうとしないので、改正されて双務的なものになった。
しかし日本政府は、集団的自衛権の行使は憲法が禁じていると言う立場なので、米軍が攻撃されても日本側は、見ているだけしかできない。
さて、現在日本国内の米軍基地は、米軍専用施設に限っていえば、300㎞2の広さを持つ。
これ以外に、自衛隊との共用施設が多く存在する。
意外な事に、貸与している土地の広さに限って言えば、北海道が最も多い。
基地が集中していると言われる沖縄の40倍である。
また、特に東京には、都心をぐるりと取り囲む形で、米軍基地が存在する。
日本は、国の心臓を、米軍に抑えられているのである。
随分前より言われている東京遷都がなかなか実現しないのも、この辺の事情が絡んでいるのかもしれない。
* * * * *
次に、敗戦後の流れを見てみます。
1945.8.15 日本降伏
同時に、朝鮮が自治権を獲得。朝鮮総督府に韓国旗を掲揚。
1945.9.8 米軍朝鮮に進軍。朝鮮総督の韓国旗をおろす。代わりに日章旗を掲揚。
この時点で、対連合国との交渉権が日本に移った。
1946.3. トルーマンが「鉄のカーテンが降りた」と演説。東西冷戦の始まりを告げる。
1947.5.3 日本国憲法施行。
1948.8 大韓民国誕生。
1948.9 朝鮮民主主義自民共和国誕生。
1950.6 朝鮮戦争、勃発。
1950.7.8 マ将軍、「警察予備隊」創設。
1951.9.8 対日講和条約、日米安保条約成立。
1952.10.15 「保安隊」に改編。
1953.7.27 朝鮮戦争の戦闘中止。現在まで停戦状態。
1954.7.11 自衛隊法成立。「軍隊もどき」のものができる。
1960年 新安保条約締結。
朝鮮戦争が起きたことで、マ将軍により「警察予備隊」が創設されました。
これが、自衛隊の前身です。
もっとも、先に見たように占領がいずれ終わることから、日本における軍隊の必要性は、アメリカも解っており、すでに了承されていました。
ここで朝鮮戦争で、日本がどのように関わったかを、以下に貼り付けます。
【日本からは、日本を占領下においていた連合国軍の要請(事実上の命令)を受けて、海上保安官や民間船員など8000名以上を国連軍の作戦に参加させ、開戦からの半年に限っても56名が命を落としている[48]。1950年11月15日、元山沖で大型曳船LT636号が触雷して沈没し日本人船員22名が死亡した[48]。アメリカ軍によって集められた日本人港湾労働者数千人が韓国の港で荷役作業を行った[48]。在日韓国人の団体である在日本大韓民国民団は在日韓国人の10人に1人にあたる6万人の志願者を予定した志願兵の募集を行ったが在日韓国人647名、日本人150名の志願者にとどまったため[49]、志願に応じた在日韓国人641名を選抜して韓国に送り込んだ(在日学徒義勇軍)(135名戦死、行方不明。242名韓国に残留)[50]。休戦後には帰還事業を妨害するため在日義勇兵によって新潟日赤センター爆破未遂事件が引き起こされた。】(ウィキペディアより)
このように、マ将軍による「警察予備隊」の創設は、朝鮮戦争によるものでした。
ここに自衛隊の「出生の秘密」があります。
自衛隊は生まれた時から、「奇形児」でした。
自衛隊は、自国の防衛を任務として誕生したわけでも、自らの判断で創設されたものでない。
何よりも米軍の都合によって、作り出されたされたものでした。
だから、日本国憲法下の、「戦争放棄」が国是の下での、「軍隊」の創設は、その後の日本社会に大きな混乱をもたらしました。
それは現在まで続いています。
自衛隊は、生まれた時から精神分裂病(今使われている、ごまかしの用語より解りやすいので、あえて使います)を罹っていたのでした。
これの根本的な治療は、「日本国軍」と名前を変えるか、日本国憲法の改正しかありません。
もちろんそのことは、日本の国民が決めることです。
また米国の要求に屈して、行われるようなことがあってはならないと思います。
次回は、集団的自衛権の行使の問題を考えてみます。
つまりこの時点において米国は、いずれは日本が自国の軍隊を持ち、自国の防衛にあたることを、想定していた。
だが10年経過しても日本が軍隊を持とうとしないので、改正されて双務的なものになった。
しかし日本政府は、集団的自衛権の行使は憲法が禁じていると言う立場なので、米軍が攻撃されても日本側は、見ているだけしかできない。
さて、現在日本国内の米軍基地は、米軍専用施設に限っていえば、300㎞2の広さを持つ。
これ以外に、自衛隊との共用施設が多く存在する。
意外な事に、貸与している土地の広さに限って言えば、北海道が最も多い。
基地が集中していると言われる沖縄の40倍である。
また、特に東京には、都心をぐるりと取り囲む形で、米軍基地が存在する。
日本は、国の心臓を、米軍に抑えられているのである。
随分前より言われている東京遷都がなかなか実現しないのも、この辺の事情が絡んでいるのかもしれない。
* * * * *
次に、敗戦後の流れを見てみます。
1945.8.15 日本降伏
同時に、朝鮮が自治権を獲得。朝鮮総督府に韓国旗を掲揚。
1945.9.8 米軍朝鮮に進軍。朝鮮総督の韓国旗をおろす。代わりに日章旗を掲揚。
この時点で、対連合国との交渉権が日本に移った。
1946.3. トルーマンが「鉄のカーテンが降りた」と演説。東西冷戦の始まりを告げる。
1947.5.3 日本国憲法施行。
1948.8 大韓民国誕生。
1948.9 朝鮮民主主義自民共和国誕生。
1950.6 朝鮮戦争、勃発。
1950.7.8 マ将軍、「警察予備隊」創設。
1951.9.8 対日講和条約、日米安保条約成立。
1952.10.15 「保安隊」に改編。
1953.7.27 朝鮮戦争の戦闘中止。現在まで停戦状態。
1954.7.11 自衛隊法成立。「軍隊もどき」のものができる。
1960年 新安保条約締結。
朝鮮戦争が起きたことで、マ将軍により「警察予備隊」が創設されました。
これが、自衛隊の前身です。
もっとも、先に見たように占領がいずれ終わることから、日本における軍隊の必要性は、アメリカも解っており、すでに了承されていました。
ここで朝鮮戦争で、日本がどのように関わったかを、以下に貼り付けます。
【日本からは、日本を占領下においていた連合国軍の要請(事実上の命令)を受けて、海上保安官や民間船員など8000名以上を国連軍の作戦に参加させ、開戦からの半年に限っても56名が命を落としている[48]。1950年11月15日、元山沖で大型曳船LT636号が触雷して沈没し日本人船員22名が死亡した[48]。アメリカ軍によって集められた日本人港湾労働者数千人が韓国の港で荷役作業を行った[48]。在日韓国人の団体である在日本大韓民国民団は在日韓国人の10人に1人にあたる6万人の志願者を予定した志願兵の募集を行ったが在日韓国人647名、日本人150名の志願者にとどまったため[49]、志願に応じた在日韓国人641名を選抜して韓国に送り込んだ(在日学徒義勇軍)(135名戦死、行方不明。242名韓国に残留)[50]。休戦後には帰還事業を妨害するため在日義勇兵によって新潟日赤センター爆破未遂事件が引き起こされた。】(ウィキペディアより)
このように、マ将軍による「警察予備隊」の創設は、朝鮮戦争によるものでした。
ここに自衛隊の「出生の秘密」があります。
自衛隊は生まれた時から、「奇形児」でした。
何よりも米軍の都合によって、作り出されたされたものでした。
だから、日本国憲法下の、「戦争放棄」が国是の下での、「軍隊」の創設は、その後の日本社会に大きな混乱をもたらしました。
それは現在まで続いています。
自衛隊は、生まれた時から精神分裂病(今使われている、ごまかしの用語より解りやすいので、あえて使います)を罹っていたのでした。
これの根本的な治療は、「日本国軍」と名前を変えるか、日本国憲法の改正しかありません。
もちろんそのことは、日本の国民が決めることです。
また米国の要求に屈して、行われるようなことがあってはならないと思います。
次回は、集団的自衛権の行使の問題を考えてみます。