善いことばを語れ。正しい理(ことわり)を語れ。好ましいことばを語れ。真実を語れ。(「スッタニパータ」)
自分を苦しめずに、また他人を害しないことばのみを語れ。
これこそ実に善く説かれたことばなのである。
好ましいことばのみを語れ。そのことばは人々に歓(よろこ)び迎えられることばである。感じの悪いことばを避けて、他人の気に入ることばのみ語るのである。
真実は実に不滅のことばである。これは永遠の理法である。
立派な人々は、真実の上に、ためになることの上に、また理法の上に安立しているといわれる。(「大いなる章」)
自分を苦しめずに、また他人を害しないことばのみを語れ。
これこそ実に善く説かれたことばなのである。
好ましいことばのみを語れ。そのことばは人々に歓(よろこ)び迎えられることばである。感じの悪いことばを避けて、他人の気に入ることばのみ語るのである。
真実は実に不滅のことばである。これは永遠の理法である。
立派な人々は、真実の上に、ためになることの上に、また理法の上に安立しているといわれる。(「大いなる章」)
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いかなる知恵のある人から見ても、欠点がなく非難されない。
それが、上の四つのことを行うことである、説かれた。
仏教学の泰斗、中村元(はじめ)博士は、「ゴータマ・ブッダは、何も難しいことを説いたのではないのであります」と述べておられるが、まさしくその通りである。
上の言葉の中には、何も難しいことは語られていない。
誰にでも分かる言葉が、語られている。
「感じの悪いことばを避けて、他人の気に入ることばのみ語る」という箇所には、反発する読者もあるかも知れない。
それでも、「感じの悪いことばを避け」る、ということについては、同意されるであろう。
「他人の気に入ることば」ということでも、いわゆる「お追従を言う」ということではなく、他人が嫌がるようなことは、言うな。
「嫌み」なことばを使うな、ということだと考えれば、納得がいかれるのではないか。
中村天風の言う「真 善 美」に通じるものがある。
(※ 参考文献 中村元『ブッダのことばースッタニパーター』岩波文庫1984年)
(2016年7月6日)
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