6年目の春が、もうすぐやってくる。「3・11」のことである。東北大震災によるフクイチの原発事故から、6年目の春が来る。
「STAP細胞」騒動、特定秘密保護法、集団的自衛権の行使の容認、などの議論に隠れて、東北大震災のことや、フクイチの事故に関することがらが、
大方の日本の国民の意識から遠のいている、ように思える。
というより、上にあげたことがらが、東北大震災やフクイチの事故への関心を逸らす目的で意識的に行われた。そういう感じを持つ。
もちろん、それは私とても、同様である。東北大震災やフクイチの事故への関心がなくなった訳では、けっしてないが、昨年の10月頃までは、「薄れていた」。そう思わざるをえない。
年末の暮れに、藤原肇氏のこれまでの対談を記録したサイトを見つけた。
このところ、中村元(はじめ)選集に掛かり切りで、ブログの更新が出来ていない。それでこの記事では、藤原肇氏の対談を紹介することで、その代わりとしたい。
対談のタイトルは、〈人災を覆い隠す「被害者」意識 繰り返してはいけない一億総懺悔〉。
対談の相手は、岡田充(共同通信客員論説委員)氏。ただし、岡田氏の肩書きは、その当時のものである。
◆ 国難にすり替えた無責任構造=「ニューリーダ」より
藤原 3・11地震は日本列島史上、有数 の大地震となり、巨大津波の襲来による原発 事故で、前代未聞の被害になりました。しか も、葵地への救援活動は喜相の指導性の なさで、遅々として進まない状況が続き、放 射能を撒き散らす原発の制御は、指揮系統の 混乱で楽観できません。
「STAP細胞」騒動、特定秘密保護法、集団的自衛権の行使の容認、などの議論に隠れて、東北大震災のことや、フクイチの事故に関することがらが、
大方の日本の国民の意識から遠のいている、ように思える。
というより、上にあげたことがらが、東北大震災やフクイチの事故への関心を逸らす目的で意識的に行われた。そういう感じを持つ。
もちろん、それは私とても、同様である。東北大震災やフクイチの事故への関心がなくなった訳では、けっしてないが、昨年の10月頃までは、「薄れていた」。そう思わざるをえない。
年末の暮れに、藤原肇氏のこれまでの対談を記録したサイトを見つけた。
このところ、中村元(はじめ)選集に掛かり切りで、ブログの更新が出来ていない。それでこの記事では、藤原肇氏の対談を紹介することで、その代わりとしたい。
対談のタイトルは、〈人災を覆い隠す「被害者」意識 繰り返してはいけない一億総懺悔〉。
対談の相手は、岡田充(共同通信客員論説委員)氏。ただし、岡田氏の肩書きは、その当時のものである。
◆ 国難にすり替えた無責任構造=「ニューリーダ」より
藤原 3・11地震は日本列島史上、有数 の大地震となり、巨大津波の襲来による原発 事故で、前代未聞の被害になりました。しか も、葵地への救援活動は喜相の指導性の なさで、遅々として進まない状況が続き、放 射能を撒き散らす原発の制御は、指揮系統の 混乱で楽観できません。
岡田 指揮系統の乱れに加え責任回避から 意図的な情報の隠蔽もあり、国民は何を信じ ていいかわからない。しかも、菅内閣は被災 者や国民のことよりも、権力維持のための政 局に明け暮れた。不信任案を「田舎芝居」で 切り抜けたのは一例です。国民は不必要な計 画停電で生活を狂わされ、風評に戸惑い、不 安は募る一方です。
責任の所在が明確でないまま、「がんばろ う日本」とか「挙国一致」で「国難」を乗り 越えろと、まるで戦前の総動員態勢のような スローガンを繰り返す。原発事故は政府と東 電の責任が問われるものだが、地震や津波と 同質に扱われ、責任の所在を曖昧にしたまま 一億総俄悔」にしています。
藤原 経済至上主義の政治が続いたことで、 日本列島上で生きる住民の生活までが、放射 能の脅威によって狂わされ、また地球で生き る生命全体の安全も損なわれた。日本人は被 害者意識に甘えるのをやめて、自分が加害者 だと自覚する必要があります。
岡田 その通りですね。放射能を含む水蒸 気を空中に放出し、汚染水を海洋に廃棄して いる現状は、地球環境に対する加害者です。 韓国の李明博大統領は「日本を無能だ」と言 い、事前通告もなく汚染水を海に流したので、 日本を非難する論調が韓国のメディアで高ま った。また、台湾の新聞は菅首相に対して、「早 く世界に謝罪せよ」と大見出しで論じた。台 湾に住む藤原さんからごらんになって、当初 は日本に同情的な態度を示してくれた台湾で すが、変化はありますか。
藤原 菅内閣の対応があまりにもお粗末だ ったので、日本人への敬意が薄れ、居心地が 悪くなっています。台湾は、震災当初から日 本に同情し、声援してくれ、二〇〇億円ちか くの義指金を送り、緊急救援隊もいち早く派 遣してくれた。しかし、北京の顔色をうかが う日本政府の態度によって、親日的な人ほど 幻滅や悲哀を感じた。そのうえ、米英独仏中 韓の各国の新聞には、「絆」と題した支援感 謝の広告を出したのに、菅首相は台湾の新聞 には出さなかった。これで対日感情は日ごと に悪化しました。愚鈍な日本政府の態度にほ とほと苦痛を感じさせられました。
岡田 外国人が被災国の日本に対して「頑 張れニッポン」と声援するのはうれしいが、 日本人がいつまでも被害者気分で、曖昧な日 本という国家に頑張れと言い続けるのは甘え でしかない。すでに世界に対し加害者になっ ているのに、責任を感じる能力のない政府を 放置し、放射能を撒き散らす日本に対しては、 誰も頑張れとは言わないと自覚すべきです。
◆ 「責任追求」は、避けるべきではない
なお、上に引用したのは、全文ではなく、部分的なものである。関心をもたれた読者は、是非、元記事で全文を読んでいただきたいと、思います。
上の記事に余計な解説は必要がないと思う。 ただ、安倍政権や、安倍首相にばかり目が行って、菅・元首相や当時の民主党の幹部らの責任の追求が「あいまい」にされたままであることについては、問題がある。
この点については、今後の課題である、と思うのである。
今、民主党を弱体化させるような事になるのは、参議院選挙を考えると日本の国民にとって、得策とは思わないが、「それとこれは、別である」と考える。
もちろん、安倍首相をはじめとして、安倍政権の閣僚、自民党の国会議員らの責任についても同様である。
このことは、今、安倍政権によって鹿児島で、再び原発が再稼働され、それが日本の各地でも、実施されようとしている時において、特に重要なことである。そう思うのである。
(2016年1月18日)
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