2016年1月4日月曜日

人生の出会い「ブルース・カミングスと中村元の世界」

私のこれからの人生の1つの目標になる。こういう思いがしている。
その思いを抱かせてくれる本は、ブルース・カミングスの『朝鮮戦争の起源』(全3冊)と、中村元博士の『普遍思想』(中村元選集 別巻2)、である。

昨年の12月の後半から、ふたつのことに、―読書に関することであるがー取り組んでいる。ひとつは、朝鮮戦争に関すること。もうひとつは、仏教思想に関することである。(なお、蛇足ながら、これらの本は、図書館で借りたものである。)

どちらも、分量が多い。しかも、それは、単に分量の問題ではなく、その内容も、広く深い。

従来の私の読書の方法は、1冊の本を集中して読み進めて行く、というスタイルを取っていた。しかし、このスタイルでいくと、どちらかを、あと回しにしなくてはならない。それでは、片方に取り組むのが、いつになるか分からない。

それで、今回は、パラレルなスタイルの読書に切り替えることにしてみた。これは、今のところ、順調に進んでいる。

これで上手くいけば、これからの読書のスタイルは、何種類かの本を並行して読み進める、ということになるかも知れない。

さて、この2冊の本であるが、何分、書かれてあることが「重く」て、スイスイと読んでいくと言う訳には、行かない。

あらかじめ、その日に読む分量を決めているのだが、それが思うように行かない。ようやくのこと、カミングスの本が150ページまで、中村博士の本は300ページあたりまで、目を通すことが出来たにすぎない。

ましてや、正月の用意と新年の三が日ということで、思うに任せない日々が続いた。今日から、気分を入れ替えて、「励まなくては」と思っているが、それもどうなることか分からない。


1) 朝鮮戦争

朝鮮戦争に関心を持つようになったのは、ひとつには、戦後日本の「講和条約」について考えるようになったことが、キッカケである。

今ひとつは、朝鮮戦争を描いた韓国ドラマを見たことによる。このドラマ(『戦友』)は、youtubeで見た。今は、何故か、削除されてしまい、見ることが出来ない。

部下を大変に大事にする上官が、主役である。この俳優は、ほかのドラマでも主役を演じており、韓国では、有名な俳優である。

ドラマでは、個々の戦闘場面を描いており、大規模な戦争の場面は、描かれていない。それでも、悲惨な場面が、多く出てくる。

ブルース・カミングス氏は、朝鮮戦争について、「その責任は米国にある」、と言う。正確には、1945年8月15日以前は日本に責任があるが、1945年9月以後は米国に責任があると、記述している。

この本は、それを膨大な資料を駆使して、明らかにしようとするものであるようだ。


戦後の米国による占領下の日本と、朝鮮戦争との関係を読み解く。これが、ひとつの課題である。

今ひとつは、(2)に関することである。それは、仏教思想と西洋思想を比較検討することで、人類に共通する思想、哲学を学ぶ、と言うものである。


2) 礼賛と寛容の精神
 
中村元(はじめ)博士は、実に驚くべきことを述べている。それは、思想の自由と表現の自由に関することだ。

博士は、当時のインドについて、以下のように書く。長くなるが、引用してみる。


・・・むしろ国王が彼(国王の奴隷=投稿者)に対して敬意をもって対応し、彼にたいする敬意のゆえに自分の座席から立ち上ったのである。

宗教生活に身をささげた人はだれであろうとも、また彼の意見や見解がどうあろうとも、また彼の参加した団体が何であろうとも、同じような尊敬と礼賛を持って遇するのが常であり、それはその時代のその国の注目すべき寛容の精神に従っていたものであった。

当時(インド=投稿者)多くの国王または都市は、哲学的宗教的問題を論議するために公の会合を開いた。幸いなことには、当時の思想家たちは驚くほどの思想および表現の自由を享受していたのであった。

強大な国王たちでさえも彼らを尊敬していた。それゆえに幾多の種類の思想が興起したのである。それらは、バラモン教の立場から見るならば、みな異端説であった。

思想ならびに表現の最も完全な自由が隠棲者たちや哲学者たちに認められていたのみならず、他のなんぴとでも認められていた。そのような絶対的な思想の自由が認められていたことは、それ以前にはいかなる地域にもなかったであろうし、またそれ以後には確かにまれであった。

これは当事の民衆のあいだに礼賛と寛容の精神が行きわたっていたことを示すものであるが、彼らが宗教上の事柄については非常に熱心で真剣であったことを思うにつけても、この事実はなおさら注目すべきある。


3) 「果てのない山脈」

大晦日の夜から、三が日にかけて、日本中の「善男、全女」が、全国の津々浦々において、お寺や神社に詣でる。

恒例の行事である。それをマスコミが、大々的に報じる。毎年の変わらぬ光景だ。

それは、子供たちも例外ではない。むしろ、子どもたちの方が、より熱心であるように見受けられる。もちろん、――彼ら、彼女らは――宗教心と言うより、友達の付き合いにおいてのことであり、子供らしい「心根」から出た行動である、のであろうが・・・・。

これを「初詣」と称している。さて、彼ら――神社やお寺に詣でた人びと――の中で、一体どれほどの人々が、初詣のあと、その年の間に、神社やお寺に参拝するのだろうか。

――初詣の人波を目にした人なら誰でも――日本人は「何と宗教心に富んだ国民なのだ」、と感じることであろう。そして、初詣以後の、日本人の神社やお寺に詣でる姿を見た人びとは、「何と姑息な宗教心であることよ」と、思うであろう。

日本人は一般的に、中村博士が説くような「宗教上の事柄については非常に熱心で真剣」な行動をとることが、まれである。これが私の、我々日本人に対する宗教(特に仏教)に関しての観方であるが、それほど、的を外していない判定であろう。

このことは、居酒屋でさえ、宗教の話をすることが「タブー」とされていることを考えてみただけでも、よく解る。居酒屋で宗教の話を持ち出した途端に投げかけられる言葉は、「そんな話は、止めろ」と言うものである。

今や、日本人にとって仏教は、――何も、仏教だけを日本人が信仰している訳ではないことは、承知であるが――「葬式仏教」に「堕落」してしまっている。

「戒律」を取り去り、「在家、出家」の区別はなく、肉食をし、酒を飲む。異性と交わる。ここには、仏教への信仰心を「微塵も見出す」ことが出来ない。


しかし、である。こう考えることは、間違いなのではないか、と中村元(はじめ)博士のこの本を読むと、感じられる。

すくなくとも、今まで私が持っていた「仏教に関する知識」が、あまりにも「浅い、偏狭なもの」である、ということを認めざるをえない。こう、思うようになった。

これから私は――今のこの「思い」や、仏教や「お釈迦様」に関することについて、中村博士の「選集」を少しでも多く読み解くことで、知識を深めていきたいと思っている。

それは、「果てしない山脈」に足を踏み入れることになるかもしれない。が、「終(つい)に見果てぬ”夢”で終わることになっても悔いはない」と思わせるほどに、――中村博士が書かれたものは――魅力に富んだ「書物」なのである。

この本は、たんに仏教思想に限らず、比較思想史とでも言いうる書物であり、「底知れぬ」ものがある。今の私は、この本と「出会えたこと」を感謝している。そのことに、「人生の喜び」を感じている。

人の出会いは、相手が「生身の人間」である場合だけとは限らない。本との出会いも、これはこれで「立派な出会い」である。

そうして、本を読むことで、著者との「対話を楽しむ」ことが出来る。そういう本の読み方をすることで、「死者とでも、出逢うこと」が可能になり、あたかも当人が目の前にいるかのような「会話」を楽しむことが出来る。

これも、人生の醍醐味のひとつである。そう思うのである。

(2016年1月4日)

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