読書ノート。長い物語である。味わうには、ゆっくりと読む必要がある。現在流行りの速読とは、およそ、縁のない書物である。今回取り上げるのは、中村元(はじめ)選集第11巻『ゴータマ・ブッダ Ⅰ』(春秋社刊 1992年)である。
ゴータマ・ブッダとは、釈尊のこと。いわゆる「おシャカさま」のことをいう。仏教の開祖として、一般には知られている人である。
目次は、以下のようである。
ーー目次――
序
第1編 誕生・さとり・説法
第1章 誕生
第2章 若き日
第3章 求道の道行
第4章 真理をさとる
第5章 真理を説く
第6章 有力信徒の帰依
第7章 晩年の事件
◆ 歴史的人物としての、ゴータマ・ブッダを描く
第2編は、第12巻として別に出された。
この本は、一般には釈尊とか、釈迦とか呼ばれている、ゴータマ・ブッダの生涯を「学問的」に明らかにしようとするものである。
はしがきにおいて、中村博士は次のように述べる。
「この書は、伝統的空想的要素の多いもろもろの<仏伝>の類を意識的に遠ざけて、古い聖典のなかから断片的な記述を収録して、この偉大な歴史的人物を、できるだけ現実の歴史性に即して構成し表現しようとしたものである。」
そして、こういう試みは、読者が従来もっていた「釈迦」のイメージを壊すものになるかもしれない。だが、それも、致し方ない、ことである。
「歴史的研究は小説ではない。我々は歴史的真実をめざすのである。・・・」と、「旧版のはしがき」において、述べている。
この新旧の「はしがき」に述べられた通り、中村元氏は、膨大な資料を駆使して、ゴータマ・ブッダの生涯を跡付ける。
まさに「博覧強記」と言う言葉は、中村博士にこそ、ふさわしい。
博士は、≪漢文は中学、高等学校で、古典ギリシャ語は高校、古典サンスクリット語は大学で学んだ。時期は不明だがラテン語も習得している。このほか、英・仏・独語、パーリ語(原始仏典の言葉)、チベット語、韓国語を学び、ヒンディー語(インドの公用語)は80歳を超えて習得した。どれも「読む」「書く」ことは自在。英・仏・独語とサンスクリット語は「聞く」「話す」ことにも堪能であった≫という。
注釈を入れて、2冊で、1300におよぶ大作である。とても、短い文章でまとめられるようなものではない。
また、この本を読んだだけでは、この本を理解し味わうのは、不十分である。
◆ 「ヒマラヤ山脈」にも比すべき「大山脈」
それには、古代インドの歴史やインドの国民性の知識が必要だ。そして、それは、博士自身の頭にそういう考えがあるようで、自身でそれらのことを明らかにする著作がある。
それは、この選集の中に入っている。この選集は、別巻も入れて、全40冊。それらのほとんどが、ゴータマ・ブッダ、仏教、インドの歴史・哲学・思想などに関係する著作を集めたものである。
つまり、これらは、中村元氏のよる、一大「叙事詩」ともいうべき著作群なのである。あるいは、「ヒマラヤ山脈」にも比すべき「大山脈」、とでも言うべきかもしれない。
私は「不用意」にも、その山脈に足を踏み入れてしまった。そしてまだ、その山脈の麓(ふもと)にもたどり着いてはいない。
この中村元選集第11巻『ゴータマ・ブッダ』の、ⅠとⅡをより深く理解するには、この選集の収録されている本を、最低8冊程度は読む必要がある。そう感じている。
おそらく、それはページ数にすると、4500~5000ぐらいになるだろう。あるいは、6000ページを超えるかもしれない。
◆ ”さとり”を開いても、「不断の闘争」を必要とする
さて、まず、誕生であるが、王家にうまれたということであるが、その「生年月日」ははっきりとしない、ようだ。――学者などの説には――およそ100年ぐらいの違いがある、のだということらしい。
もっとも、仏教の開祖であるのだから、後世の信者らのしてみれば、「神秘性」がるほうが都合がよいのかもしれない。
ところが、中村博士は、その反対で、ブッタの生涯から「神秘性」を取り除き、人間としての「ブッダ」を我々の前に提示する。
しかも、そのブッダの姿たるや、あまりにも「人間的でありすぎる」のである。「なまなま」し過ぎるのである。
博士の描くブッタは、「さとり」を得た後も、なお、「悩む」ところのブッダなのである。およそ、「さとり」を得た人とは思えないほどの、「弱弱しさ」をさらけ出す、のである。
中村博士は、ブッダにまとわりついている「衣(幻影)」を次々と、剥がしていく。そして、彫刻家が、木の固まりから、――仏像や動物などを――掘り出すのとおなじようにして、ブッダの真実の姿を「掘り出す」のである。
そのブッタの姿は、我々が意識するブッダとは、およそ「似ても似つかぬ」姿をしている、のである。
例えば、こう書いている。「さとりを開いた人、ブッダになった人にも不断の誘惑や脅迫がある。ブッダにもたえず悪魔の誘惑や脅迫と戦わねばならぬ。そうしてその実践のうちにこそブッダのブッダたるゆえんが存する。その実践が仏教なのである。ひとたびさとりを開いたならば、もうそれで完成してしまうという性質のものではない。・・」(P564)
また、次のようにも言う。
「…一般の修行僧と同様に托鉢したということは、ゴータマ・ブッダが他の修行僧と同じ資格における一個の修行僧であったということを示すものである。平等の精神の具現とも解し得るであろう。ゴータマ・ブッダは霊感や啓示を受けた特別の超人ではなかったのである。」(p485)
釈尊は極度に偉大な超人的な存在であり、仏弟子はとうていそこには到達し得ないと説くのは、後代の人々の空想や教義学者のもつたいぶった思弁にもとづくものである。
「それは歴史的真実をゆがめている」と解説する。
仏教に関心のない人とでも、キリスト教などを信じている人でも、一度はこの本を読むならば、そこからくみ取ることのできるものは、「図り知れない」ものがある。
この読書メモで紹介する所以である。
(2016年1月11日)
ゴータマ・ブッダとは、釈尊のこと。いわゆる「おシャカさま」のことをいう。仏教の開祖として、一般には知られている人である。
目次は、以下のようである。
ーー目次――
序
第1編 誕生・さとり・説法
第1章 誕生
第2章 若き日
第3章 求道の道行
第4章 真理をさとる
第5章 真理を説く
第6章 有力信徒の帰依
第7章 晩年の事件
◆ 歴史的人物としての、ゴータマ・ブッダを描く
第2編は、第12巻として別に出された。
この本は、一般には釈尊とか、釈迦とか呼ばれている、ゴータマ・ブッダの生涯を「学問的」に明らかにしようとするものである。
はしがきにおいて、中村博士は次のように述べる。
「この書は、伝統的空想的要素の多いもろもろの<仏伝>の類を意識的に遠ざけて、古い聖典のなかから断片的な記述を収録して、この偉大な歴史的人物を、できるだけ現実の歴史性に即して構成し表現しようとしたものである。」
そして、こういう試みは、読者が従来もっていた「釈迦」のイメージを壊すものになるかもしれない。だが、それも、致し方ない、ことである。
「歴史的研究は小説ではない。我々は歴史的真実をめざすのである。・・・」と、「旧版のはしがき」において、述べている。
この新旧の「はしがき」に述べられた通り、中村元氏は、膨大な資料を駆使して、ゴータマ・ブッダの生涯を跡付ける。
まさに「博覧強記」と言う言葉は、中村博士にこそ、ふさわしい。
博士は、≪漢文は中学、高等学校で、古典ギリシャ語は高校、古典サンスクリット語は大学で学んだ。時期は不明だがラテン語も習得している。このほか、英・仏・独語、パーリ語(原始仏典の言葉)、チベット語、韓国語を学び、ヒンディー語(インドの公用語)は80歳を超えて習得した。どれも「読む」「書く」ことは自在。英・仏・独語とサンスクリット語は「聞く」「話す」ことにも堪能であった≫という。
注釈を入れて、2冊で、1300におよぶ大作である。とても、短い文章でまとめられるようなものではない。
また、この本を読んだだけでは、この本を理解し味わうのは、不十分である。
◆ 「ヒマラヤ山脈」にも比すべき「大山脈」
それには、古代インドの歴史やインドの国民性の知識が必要だ。そして、それは、博士自身の頭にそういう考えがあるようで、自身でそれらのことを明らかにする著作がある。
それは、この選集の中に入っている。この選集は、別巻も入れて、全40冊。それらのほとんどが、ゴータマ・ブッダ、仏教、インドの歴史・哲学・思想などに関係する著作を集めたものである。
つまり、これらは、中村元氏のよる、一大「叙事詩」ともいうべき著作群なのである。あるいは、「ヒマラヤ山脈」にも比すべき「大山脈」、とでも言うべきかもしれない。
私は「不用意」にも、その山脈に足を踏み入れてしまった。そしてまだ、その山脈の麓(ふもと)にもたどり着いてはいない。
この中村元選集第11巻『ゴータマ・ブッダ』の、ⅠとⅡをより深く理解するには、この選集の収録されている本を、最低8冊程度は読む必要がある。そう感じている。
おそらく、それはページ数にすると、4500~5000ぐらいになるだろう。あるいは、6000ページを超えるかもしれない。
◆ ”さとり”を開いても、「不断の闘争」を必要とする
さて、まず、誕生であるが、王家にうまれたということであるが、その「生年月日」ははっきりとしない、ようだ。――学者などの説には――およそ100年ぐらいの違いがある、のだということらしい。
もっとも、仏教の開祖であるのだから、後世の信者らのしてみれば、「神秘性」がるほうが都合がよいのかもしれない。
ところが、中村博士は、その反対で、ブッタの生涯から「神秘性」を取り除き、人間としての「ブッダ」を我々の前に提示する。
しかも、そのブッダの姿たるや、あまりにも「人間的でありすぎる」のである。「なまなま」し過ぎるのである。
博士の描くブッタは、「さとり」を得た後も、なお、「悩む」ところのブッダなのである。およそ、「さとり」を得た人とは思えないほどの、「弱弱しさ」をさらけ出す、のである。
中村博士は、ブッダにまとわりついている「衣(幻影)」を次々と、剥がしていく。そして、彫刻家が、木の固まりから、――仏像や動物などを――掘り出すのとおなじようにして、ブッダの真実の姿を「掘り出す」のである。
そのブッタの姿は、我々が意識するブッダとは、およそ「似ても似つかぬ」姿をしている、のである。
例えば、こう書いている。「さとりを開いた人、ブッダになった人にも不断の誘惑や脅迫がある。ブッダにもたえず悪魔の誘惑や脅迫と戦わねばならぬ。そうしてその実践のうちにこそブッダのブッダたるゆえんが存する。その実践が仏教なのである。ひとたびさとりを開いたならば、もうそれで完成してしまうという性質のものではない。・・」(P564)
また、次のようにも言う。
「…一般の修行僧と同様に托鉢したということは、ゴータマ・ブッダが他の修行僧と同じ資格における一個の修行僧であったということを示すものである。平等の精神の具現とも解し得るであろう。ゴータマ・ブッダは霊感や啓示を受けた特別の超人ではなかったのである。」(p485)
釈尊は極度に偉大な超人的な存在であり、仏弟子はとうていそこには到達し得ないと説くのは、後代の人々の空想や教義学者のもつたいぶった思弁にもとづくものである。
「それは歴史的真実をゆがめている」と解説する。
仏教に関心のない人とでも、キリスト教などを信じている人でも、一度はこの本を読むならば、そこからくみ取ることのできるものは、「図り知れない」ものがある。
この読書メモで紹介する所以である。
(2016年1月11日)
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