2013年12月29日日曜日

日本お正月の「しきたり」を考える。

もうすぐ新年を迎える訳ですが、日本における正月の「しきたり」について考えてみたいと思います。


門松をかざる
初詣に出かける。それも大晦日の夜から
戸口にしめ飾りを飾る
鏡餅
お屠蘇を飲む(屠蘇散というものを入れて作るものです)
お節料理を作る
白みその雑煮
鏡開き
左義長(正月飾りを焼くもの)
かきぞめ
お年玉、などなど。

ざっと見ただけでもこれだけのことがありました。

各家庭にもよるのでしょうが、現在でも、これだけのしきたりを守っている家がどれほどあるのでしょうか。

我が育った家では、「お屠蘇」は元々ありませんでした。
父親がお酒を飲まない人であったのです。

しかも昔ながらの「家長という考え」だけは引き継いでいるので、家族の勝手が出来ませんでした。今でも、正月に家に帰れば「お酒なしの正月」なのです。

子供らが飲まないわけではありません。
それぞれに、たしなむ程度には飲むのです。

それでも、父親はお酒を出そうとはしません。
いつまで経っても、自分が子供たちを支配していたいのでしょう。

それで、「お節料理」にまつわる講釈を聞きながら、ボソボソと正月の膳を食べる事になるのです。

また、親から「お年玉」をもらうこともなく、たまに叔父さんなどからもらっても、親に巻き上げられてしまい、自分では使うことが許されませんでした。

もちろん、小遣いなどというものさえ、もらった経験がありません。
お金など持たせるとロクな事にしか使わない、という考え方だったのでしょう。

この世は金の世です。
小さい時からお金の事や、その使い方を教育する事が大切だと思ういのですが、触らせないことが「教育なのだ」と勘違いしていたようです。

そんな訳ですから、正月は、私にとってはうれしくも、ありがたくもないものでした。

とにかく「しきたり」を守って「行事だけはする」のですが、楽しむということを知らない親でした。

ですから自分の家庭を持つようになってからは、正月を自分の家で過ごす事が多くなりました。
また、我が家では、「お節」などもほとんど作りません。

ちょうど家庭を持つようになったころから、スーパーが正月でも営業するようになってきたからです。

かまぼこや昆布巻き、カズノコなどは買いますが、他は普段とあまり違わないものを食べます。
それを「お重」に詰めて出します。
もちろん、雑煮だけは作ります。

というより我が家は、正月の間はすべて雑煮です。ごはんは炊きません。
これは、ここ5年ほどの習慣です。

「お重」の中の物を肴に、お酒を飲みながら、締めに「雑煮」を食べる、というのがキマリです。

鏡餅も今では飾りません。
一度「固くなった鏡餅」で悪戦苦闘して以来のことです。

初詣も形ばかり。

これらの「しきたり」はもともと、農家にまつわる行事です。
年神さんを迎え、豊穣を願う行事です。

都会に住む我々が、年々忘れていき、重きを置かなくなることは仕方のない事でしょう。

ですから、最近の正月は改まった感じもなく、まさに「めでたさも半分のおらが春」といった所です。