「これは昔にも言うことであり、
いまに始まることでもない。
沈黙している者も 非難され、
多くを語る者も 非難され、
少しく語る者も 非難される。
世に非難されない者はいない。」
と、ゴータマ・ブッダは、教える。
これを 中村元・博士は解説して言う。
「われわれ人間は とかく人の評判を
気にするものであるが、
人の毀誉褒貶をいちいち
取り上げて気にするのは つまらないことである。
他人の口うるさい批評やかげ口を
いちいち気にする必要はない。」
では、どうするのがいいのか。
「過去を追うな。 未来を願うな。
およそ過ぎ去ったものは すでに捨てられたのである。
また未来はいまだ到達していない。
そうして現在のことがらを、
おのおのの処に おいてよく観察し、
揺らぐことなく、また動じることなく、
それを知った人は、その境地を増大させよ。
ただ今日は まさになすべきことを熱心になせ。
だれが明日に 死のあるのを知ろう。」
と古代インドの賢人は説く。
今日1日を いかに生きるのか。
それは つまるところ
その人に 与えられている。
どのような選択を行うかは、
その人の自由である。
たとえ 「宮仕え」の身であろうとも
それは 変わらない。
また、「牢獄」の中にいようと
同様である。
他人が 他人の心の中にまで
入っていくことは出来ない。
要は、 個人の心の持ち方。
それ次第である。
※ 毀誉褒貶(きよほうへん)=ほめたりけなしたりすること。 称賛、非難など、世間の評判がさまざまであること。 「毀」「貶」は、そしること。 けなすこと。
いまに始まることでもない。
沈黙している者も 非難され、
多くを語る者も 非難され、
少しく語る者も 非難される。
世に非難されない者はいない。」
と、ゴータマ・ブッダは、教える。
これを 中村元・博士は解説して言う。
「われわれ人間は とかく人の評判を
気にするものであるが、
人の毀誉褒貶をいちいち
取り上げて気にするのは つまらないことである。
他人の口うるさい批評やかげ口を
いちいち気にする必要はない。」
では、どうするのがいいのか。
「過去を追うな。 未来を願うな。
およそ過ぎ去ったものは すでに捨てられたのである。
また未来はいまだ到達していない。
そうして現在のことがらを、
おのおのの処に おいてよく観察し、
揺らぐことなく、また動じることなく、
それを知った人は、その境地を増大させよ。
ただ今日は まさになすべきことを熱心になせ。
だれが明日に 死のあるのを知ろう。」
と古代インドの賢人は説く。
今日1日を いかに生きるのか。
それは つまるところ
その人に 与えられている。
どのような選択を行うかは、
その人の自由である。
たとえ 「宮仕え」の身であろうとも
それは 変わらない。
また、「牢獄」の中にいようと
同様である。
他人が 他人の心の中にまで
入っていくことは出来ない。
要は、 個人の心の持ち方。
それ次第である。
※ 毀誉褒貶(きよほうへん)=ほめたりけなしたりすること。 称賛、非難など、世間の評判がさまざまであること。 「毀」「貶」は、そしること。 けなすこと。
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