2016年2月28日日曜日

「ごみの分別処理は必要」か←「ムダなこと」ではないのか

間もなく、卒業、入学、入社のシーズンである。
住み慣れた土地や、家を離れ、新たな生活を始める人々が、ある。

生活をしていれば、ゴミが出る。
このゴミが、問題になる。


田舎にいた時は、川に捨てたり、田んぼに埋めていた。都会では、それは出来ない。そこで、自治体の出番となる、のであるが・・・。

引用した記事は、これでも半分の量である。元サイトに行かれる方は、そのつもりで。元記事には、リサイクル、環境問題、ごみの分別、など。身の回りの問題を考えるときのヒントが、満載である。


「ごみの分別処理が必要だ」とされる=「島田法務行政書士事務所」の記事から



①地球の資源は有限である。
②未来の子孫のために、浪費を抑え、資源を大切に使っていく必要がある。
③そのためには、使用済みの廃棄物はなるべくリサイクルすることが重要である。
④地球の温暖化は人間活動によって生じたCO2が原因である。CO2を減らすためには、ごみの減量化とリサイクルが必要である。

 こういうもっともらしい表現は、役人が好んで使う常套句です。こういう美辞麗句が並んでしまうと、私たち一般の国民はもう黙るしかありません。反論すべき具体的な根拠を持たないし、「役人が悪いことをするはずがない」と信じている人も、まだ沢山いるからです。でも、私たちは、これまで随分と役人から騙されてきましたよね。

 皆さんは、このごみの分別処理という問題。本当に地球環境に優しいのか、じっくりと考えてみたことがあるでしょうか。

 例えば、ペットボトルです。これは石油製品ですね。原料が石油ですから燃やせばあっという間に燃えてしまいます。今は、燃やすのはCO2を増やすし、再利用しないのは地球環境に悪い、ということになっています。本当は、地球環境にやさしくするためには、ビール瓶のように、洗って繰り返し使うようにすれば一番よいに決まっています。でもそうしていません。

 ヨーロッパの一部では、ペットボトルでも、洗ってそのまま再利用している国があるそうですが、日本人には無理でしょう。ペットボトルは劣化して透明度も下がるし、傷もつく。チューインガムの食べかすが中に付着していても、ヨーロッパの方は、「消毒しているから問題ない」と考えるそうです。でも、日本人は、いくら消毒済みだと言われても、形が残っていたら、とても飲む気にはなれないでしょう。日本人の潔癖性は、欧米人とは質的に異なるのです。

溶かして使えば安いのか

 そのままの形で再利用が難しいならば、溶かして、再度ペットボトルとして利用する方法を考えてみましょう。溶かすにはどうするのでしょう。熱を加え、どろどろにし、再度成形するというのが一般的な方法でしょう。熱を加えるためには石油も使うでしょうね。

 実際にこれを実行したペットボトルのメーカーがあります。山口県に工場を作り、そこで最初の原料に戻してペットボトルに作り直したんだそうです。しかし、その試みはうまくいかず、今は工場も動いていないそうです。ペットボトルは軽いけど嵩張るので、運ぶだけでも相当の石油を使います。更に、原料に戻すための工程で大量の石油も使う。つまり、全く元が取れないということが分かったというんですね。

 同じ理由で、三重県にあった「よのペットボトルリサイクル」という会社も倒産したそうです。つまり、補助金でももらわなければとても採算が取れない。早い話が、再利用というのは、経済的にはペイしないということです。リサイクルによって1リットルの石油を生産するため、1リットル以上の石油を消費する。これがペットボトルリサイクルの現状だということなのです。

 このレベルまでは、素人である我々にも直感的に理解できる範囲です。

実際はどうしてる?

 では、分別したゴミは実際にどうしているのでしょうか。ペットボトルリサイクル推進協議会のホームページを見ると、次のように書いてあります。

 「PETボトルのリサイクルは、ボトルを直接溶かして再利用するのではなく、一旦、再生原料となる小片(再生フレーク)を作った上で、様々な再利用品に利用する方法を採用しています。再生フレークはPETボトルを8mm角(カク)位の小片に粉砕し、よく洗って乾かしたものです。具体的には、異物除去→粉砕→洗浄→乾燥→梱包の工程を経て製造され、再利用品の原料となります。」
 何のことはありません。要するに、溶かして再生するのではなく、再利用品の原料とするため、細かく砕いているだけだったんです。当然、この異物除去、粉砕、洗浄、乾燥、梱包という工程でも電気や水を大量に使いますし、ベルトコンベアーなど、それなりの大型装置も必要になります。もちろん、作業の工程で、異物を取り除いたり、ボトルのラベルを剥がしたりといった人的な作業も必要になります。ペットボトルは、嵩張りますから、リサイクル工場まで運ぶにも、大量のガソリン(石油製品)を使います。

画像の説明
 そういった一連の作業をしても、決して最初の石油に戻るわけではありません。新たなペットボトルを作るなら、そんな無駄な作業をせず、直接、石油から製造してしまう方が遥かに安上がりになるくらいのこと、素人にも直感として理解できます。

 それなのに、何となく、前述の「資源は有限、リサイクルは地球にやさしい、地球温暖化の防止に貢献する」なんて言われると、公徳心の高い国民は反論するより、協力する方に気持ちが傾いてしまいます。そのうえ「役人は嘘つかない」という、信仰にも似た考えが根底にあれば、盲信してしまう人も多いはずです。

 この問題については、かねてより中部大学教授の武田邦彦教授が、ズバリ、「ゴミの分別処理はムダ」だと断言しています。彼は、著書「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」(洋泉社)の中で、リサイクルは、環境にやさしくないだけでなく、利権の温床にもなっている、と指摘しています。

 武田氏は、ペットボトルのリサイクルによって費用が増加した分と費用が減少した分とを、分かりやすく次のような表で説明しています。

画像の説明
 この表の結論は、リサイクルすることによって減少した自治体のゴミ処理費用が946億円、逆に、リサイクルするために増加した費用が1,714億円、差し引き約767億円の損失が生じているというのです。

 この資料の出典は、産業構造審議会廃棄物リサイクル小委員会、第17回容器包装リサイクルワーキンググループ資料として提出されたものです。つまり、公の資料なのです。
 
 私たちは、リサイクルは資源を節約し、環境を守る行為だから、ただ捨てるよりも全体としてエネルギー資源は節約され、従って、税金も安くなっているはずだ、と思っていました。ところが、現実は、全く逆になっているのです。リサイクルすることによって、「エネルギーは逆により多く消費され」、税金も「資源税」などの名目で余計に徴収されていたのです。】


 


論評は、明日の朝に。

★★★★★

◆ 加速する「ゴミの分別」

私が居住する自治体においては、「ゴミの分別」がさらに加速して来ています。カン、ビン、ペットボトル、燃えるゴミ、燃えないゴミ、の分別に加えて、新たに「プラスチックゴミの分別」が始まっています。

これは魚・肉などの販売に使われているトレー。それ以外に、プラスチックの菓子袋、などの分別です。

これだけではありません。
ほかにも、使用済みの食用油も、指定の場所に持っていく必要があります。

さらに、小型の電化製品の分別収集もあります。これは、タブレット、携帯、スマホをはじめ、ごく小型の家電を対象にしたものです。これも、近所の指定の場所に持っていくようになりました。

「ゴミ屋敷」というのがあるそうで、近く住む人々にとっては、「地獄」にも似たような環境に置かれる訳でしょうが、ゴミの分別もひどいものです。

これも、「毎日が地獄」のようなものです。台所で何かするたびに、ほかの場所で動くたびに、分別することが必要なのです。

それだけではありません。


◆ 「自治会の役員」というジレンマ

自治会の役員があります。
役員でゴミの担当になったら、最悪。今度は、自分が「役所の代わり」をすることになります。

近所の人々が出すゴミを「見張る」ことに、なるのです。もちろん、ゴミ出しの現場を見張るということは、しません。

収集車が帰った後の、ゴミ置き場を点検する訳です。そのままにしておけば、いつでも収集されずに放置されることになるので、収集して「もらえる」状態に分別し直します。

「分別収集には反対だ」と言ってみても、この自治会の役員が回ってきたら、最後。「ゴミの分別なんて、意味のないことをする必要はありませんよ」とは、言えなくなるのです。

もし、「分別せずに出す」とどうなるか。
この自治会の役員をすると、よく分かるのです。

自分は分別しなくても済みます。でも、自治会の役員は、それでは済まないのです。自分は楽が出来るのでしょうが、その分を他人が負担することになります。

だから、「分別には意味がない」「分別収集は、反対だ」と言っては、おれないのです。


◆「補助金の問題」という、甘い蜜

また、武田教授が言っておられることだと思うのですが、「補助金の問題」もあります。

分別収集することで、役所から自治会に補助金が出ます。しかも、その補助金。分別収集したことで得られる金額--「古紙回収」というのがあり、業者がお金をくれる--の倍ほどになります。

ということは、国から自治体に補助金が出ている。その中から、自治会に補助金が出る。そういう構図になっているのだと思います。

これでは、自治体がゴミの分別収集を止めないどころか、さらに加速させる訳です。根源は、ここにあると思います。

※ 「明日の朝」の論評が、今日になりました。(2016年6月9日)

(2016年2月28日)