悪魔が 耳元でささやく。
「子のあるものは 子について喜ぶ。
また お金のあるものは お金について喜ぶ。
人間の喜びは、
執著する よりどころ によって起こる。
執著する よりどころ のない人は、
じつに喜ぶことがない。」
それに応えて、
お釈迦様が 次のように説いた。
「子のあるものは 子について憂い、
また お金のあるものは お金について憂う。
人間の憂いは、
執著するよりどころによって 起こる。
じつに 執著するよりどころのない人は、
憂うることがない。」
それを聞いて悪魔は、恥じて退散した。
★
人は、妻や子供、財産を手にしようと、
懸命に努力し、働く。
ところが、それらを手にしたとたんに、
憂いが始まる。
それらを失くしはしまいかと、
始終 気にかけるようになる。
今度は 持つことにより、
憂いが生じる。
逆に 持つことがなければ、
憂いが生じることもない。
だが、現実には そうはいかない。
人は何物もなく、持たずに、
生きていくことは出来ない。
だいいち 自分自身の身体がある。
仏教は それを
自己の身体さえも、
自分のものではないと知れ、
と説く。
自分自身の身体さえも、
自分のものではない、
と知れば、 憂いは消える。
そう教え説くである。
注①
執着(しゅうじゃく)とは、仏教において、事物に固執し、とらわれること。
主に悪い意味で用いられ、修行の障害になる心の働きとする。
執「著」と書くこともある。
「子のあるものは 子について喜ぶ。
また お金のあるものは お金について喜ぶ。
人間の喜びは、
執著する よりどころ によって起こる。
執著する よりどころ のない人は、
じつに喜ぶことがない。」
それに応えて、
お釈迦様が 次のように説いた。
「子のあるものは 子について憂い、
また お金のあるものは お金について憂う。
人間の憂いは、
執著するよりどころによって 起こる。
じつに 執著するよりどころのない人は、
憂うることがない。」
それを聞いて悪魔は、恥じて退散した。
★
人は、妻や子供、財産を手にしようと、
懸命に努力し、働く。
ところが、それらを手にしたとたんに、
憂いが始まる。
それらを失くしはしまいかと、
始終 気にかけるようになる。
今度は 持つことにより、
憂いが生じる。
逆に 持つことがなければ、
憂いが生じることもない。
だが、現実には そうはいかない。
人は何物もなく、持たずに、
生きていくことは出来ない。
だいいち 自分自身の身体がある。
仏教は それを
自己の身体さえも、
自分のものではないと知れ、
と説く。
自分自身の身体さえも、
自分のものではない、
と知れば、 憂いは消える。
そう教え説くである。
注①
執着(しゅうじゃく)とは、仏教において、事物に固執し、とらわれること。
主に悪い意味で用いられ、修行の障害になる心の働きとする。
執「著」と書くこともある。
1 件のコメント:
執着(しゅうじゃく)とは、仏教において、事物に固執し、とらわれること。
主に悪い意味で用いられ、修行の障害になる心の働きとする。
執「著」と書くこともある。(wikipedia)
原文では、「お金」ではなく「牛をもつこと」、と表記されています。インドでは、牛が尊重され、貴重とされるからです。
それを現代の日本に合わせて、「お金」としました。そのほうが、分かりやすい、と思うからです。
「財産」と考えても、同じことでしょう。
コメントを投稿