2016年2月4日木曜日

モノへの執著を絶て「子のあるものは子に、お金のあるものはお金に喜ぶ」

悪魔が 耳元でささやく。

「子のあるものは 子について喜ぶ。

また お金のあるものは お金について喜ぶ。

人間の喜びは、
執著する よりどころ によって起こる。

執著する よりどころ のない人は、
じつに喜ぶことがない。」


それに応えて、
お釈迦様が 次のように説いた。

「子のあるものは 子について憂い、
また お金のあるものは お金について憂う。

人間の憂いは、
執著するよりどころによって 起こる。

じつに 執著するよりどころのない人は、
憂うることがない。」

それを聞いて悪魔は、恥じて退散した。


人は、妻や子供、財産を手にしようと、
懸命に努力し、働く。

ところが、それらを手にしたとたんに、
憂いが始まる。

それらを失くしはしまいかと、
始終 気にかけるようになる。

今度は 持つことにより、
憂いが生じる。

逆に 持つことがなければ、
憂いが生じることもない。

だが、現実には そうはいかない。

人は何物もなく、持たずに、
生きていくことは出来ない。

だいいち 自分自身の身体がある。

仏教は それを 
自己の身体さえも、
自分のものではないと知れ、
と説く。

自分自身の身体さえも、
自分のものではない、
と知れば、 憂いは消える。

そう教え説くである。

注①
執着(しゅうじゃく)とは、仏教において、事物に固執し、とらわれること。
主に悪い意味で用いられ、修行の障害になる心の働きとする。

執「著」と書くこともある。

1 件のコメント:

satoru Kinugawa さんのコメント...

執着(しゅうじゃく)とは、仏教において、事物に固執し、とらわれること。
主に悪い意味で用いられ、修行の障害になる心の働きとする。
執「著」と書くこともある。(wikipedia)

原文では、「お金」ではなく「牛をもつこと」、と表記されています。インドでは、牛が尊重され、貴重とされるからです。
それを現代の日本に合わせて、「お金」としました。そのほうが、分かりやすい、と思うからです。
「財産」と考えても、同じことでしょう。