2018年9月17日月曜日

山本七平=「日本人が無宗教」というのは驚くべき誤解

≪「日本人が無宗教」というのは驚くべき誤解であり、その宗教性が西洋と違うということにすぎない。

正三には「神=唯一絶対神」は存在しない。それが存在しないから無宗教というなら、正三もまた無宗教というなるであろう。


正三に取って、信仰とは、前期の唯一絶対神を信ずることではなく、「唯自身を信ずべし」ということである。

この信仰を、今も日本人はもち続けている。(161-162貢≫

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≪「世俗の行為はそれを修行とすることによって宗教的行為になりうる。」といった考え方は、日本人に実に大きな影響を及ぼした。これはある意味では聖職者の否定となる。

農業が仏行なら、お坊さんは不要である。正三自身に聖職者否定とも受け取れる言葉は他にもいくらでもある。

これがおそらく現代にも通じ、われわれも世俗の人の中の宗教性には、敬意を払うが、聖職者という職業人を、つねに少々うさん臭い対象として見るのである。

したがって、その意味の宗教性否定・宗教家否定の感情は、実に強く、それが無宗教という見方を生むが、以上のような意味の宗教性を持たない日本人はいない。

もし、そうした意味の宗教性を全く元ない人がいれば、社会的に避難されるであろうことも、否定できない。その意味では、まことに宗教的な民族だと言える。

たとえば、われわれの社会では「ブラブラしている」は非難の言葉である。働かないということは、仏行を行っていないことだから、非難されて当然である。≫
(山本七平著『日本資本主義の精神』 174-175貢) 

(2018年9月17日)


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