2012年10月5日金曜日

公園や道路はゴミ箱ではない

社会生活を送る上で大切なことのひとつは、道徳を守るということである。
 しかし、周りを見渡してみると、その道徳がまもられていないことが多い。
 犬や猫にもおとる

 それが端的に表れているのが、公園や道路に散乱している、ゴミである。

 以前にゴミを拾って歩いていた時、家の近くを一回りしただけで、ゴミ袋がいっぱいになったことがあった。

道路だけでなく、公園、植え込みの中など、所かまわず捨ててあった。
 ジュースやビールの缶、菓子の袋・入れ物、ペットボトルなどが、散乱していた。

 特に多かったのは、菓子の袋・入れ物、ラーメンなどのカップである。
食べるだけ食べて、袋、入れ物、カップはそのまま捨ててしまう。

 まるで猫や犬と同じである。
 いや人間には知恵があるのだから、それは猫や犬以下の行いである。

 なぜゴミを捨てるか

 もっとも、そのような意識がないから、道路や公園などを、
ゴミ捨て場にしているのだろうが。

それにしても、なぜこんな行動がとれるのだろう。

 ゴミ箱が置かれていないせいなのだろうか。
 他の人が捨てているから、自分も捨ててよいと考えているからなのだろうか。
それとも、家で食事の後に、あとかたづけをしたことがないのだろうか。

 少なくとも、ゴミ箱が置かれていないせいではなさそうである。
 ゴミ箱が置かれていないせいだとしたら、コンビニの前に散乱しているゴミは、 なんなのだろう。

 すぐ目の前にゴミ箱があるのに、店の前で食べたまま、ほっちらかしてある。

 では、みんなが捨てるからというのはどうであろうか。

 これはかなりありそうなことだ。
 本当は捨てたくないのだけれども、自分だけ捨てないと、いい子ぶっていると思われるのが嫌なのかもしれない。

 そうだとすると、これは結構根の深い問題を含んでいる。

 つぎの、家でのしつけの問題をみてみよう。

 後片付けをしたことがないという子供はいないと思われるのだが、 どうなのだろう。
 家でも食べたらそのままなのだろうか。

 親がしてくれるから、何もしないのだろうか。
片づけをしなくても親は何も注意をしないのだろうか。

そうだとしたら、ゴミを道路や公園に捨てるのも「納得」できる。

   問題の根は深い

 どちらにしても、問題の根は深そうである。
 しかし、結局は本人の自覚の問題ではなかろうか。

 ゴミを道路や公園に捨ててはいけないということは、知っているはずである。
 知っていてそれをしないのは、当人の道徳性の問題であろう。

 それとも、捨ててはいけないということを知らないのであろうか。
教えられた事がないのであろうか?

 だとしたらそれはもう、道徳以前の問題である。

(2012年10月5日)