2012年10月5日金曜日

子供に人権はない

小室直樹博士によると、「子供の人権」という言い方は、正しくないそうである。
子供にあるのは人権というより、特権であるいうのが、博士の説である。
これは、人権とは、何かということが理解できていないからだと、博士は述べている。

人権とは、大人にも子供にも等しく与えられているものである。
子供にだけ与えられるとしたら、それは特権である,ということなのだ。
たとえば、「少年法」というのはそういう趣旨から制定されたものである。
だから、「少年の人権を守れ」ではなく、「少年の特権を守れ」といういいかたでなければならない。
ところがこの特権を持つということが、必ずしも理解されされていないようである。
 
私自身も小室先生の本を読むまでは、「子供の人権」と言っても何も疑問を感じなかった。
それで当たり前であると思っていた。
しかし、人権と特権では違いがある。この差は、文字にすれば一文字の違いであるが、
その持つ意味の違いは大きい。
子だもには「特権がある」ということは、大変なことである。
大人と同じことをしても、子どもと大人とは違う扱いを受けるということになる。
特に大きな犯罪を犯した場合などは特にそうである。
14歳以下ならさらに、守られている。
また、このような例もある。
ある人のはなしによると、今住んでおられるのは、小学校のすぐそばなのだそうである。
最近は週5日制なので、土日は学校は休みなのだが、子供たちがやってくる。
地域の運動クラブの練習をしに来るのである。
その練習であるが、コーチにいわれるのか、大きな声を張り上げる。
窓を閉め切っていても、テレビをつけていても、そのカナきり声が聞こえるのである。
それがひどいときは、朝の9時から夕方の5時までつづくのだそうだ。
それが、土日が雨の日以外は毎週のことなのである。
あまりにうるささに耐えかねて、話をしに言った時のコーチの答えが、
「子供のためなら何でも許される」というものであったらしい。
これではいくらなんでもひどすぎる。
コーチがこの感覚ではとても無理だと思い、あまりにうるさいときは、
こちらもどなりかえすしかなくなったとのことである。
これは、子供の特権とかいう前に、社会常識の問題でもあると思う。
スポーツはルールがあって初めて成り立つゲームだ。
スポーツのルールは守っても、社会のルールを守らなくてもよいというなら、
何のためのクラブだ。
単に体を鍛え、技術を身に着けるというだけなら、学校のグランドを使用する意味はどこにあるのだろう。
学校が休みの日に、学校の施設を使ってやる以上、何らかの教育的配慮があって当然である。
そんなことはないというのなら、市の運動施設なり、民間の施設を借りてすればよいことである。
このように放課後のクラブのことを考えただけでも、
こどもの特権とは、受け取り方によってはとんでもないことになる。
我々は子供のこうした特権についてどう考えればよいのだろう。
あくまで子供を弱い存在とみて、保護すべきなのであろうか。
それとも大人と同様に扱うべきなのだろうか。
ところで、最近また学校でのイジメ問題が、よく報道されるようになった。
もちろん報道がふえたから言って、イジメの件数自体が増えたとはかなずしも言えないのではあるが。
しかし、凶悪化していることは間違いなさそうである。
少し前なら、やくざの手口と思われていたようなやり方でのイジメが増えている。
煙草を体に押し付ける。それも何度も繰り返す。
いじめ倒して、自殺のまで追い詰める。
グループで、一人だけをいじめる。そして周りは見ていても知らんふりをする。
そして、ひどいのになると、携帯でその場面を映して楽しんでいる子もいるということである。
あるいは、悪ふざけをして、相手の子を殺してしまう。
このような事をした子供とたちを取り扱うとき、はたして子供の特権を持ち出して、
救済措置を取ることが、本当に正しいことといえるのであろうか。
簡単にはいかないとは思う。
しかし、これは明らかにイジメといえるようなレベルの問題でなく、
犯罪である。
大人と同じように、犯罪として取り扱うべきだと考える。
そうしないといつまでたっても、同じ事が繰り返されるであろう。
「こういうことをすれば大人と同じように取り扱います」と言うことを明確にしないと、
その時だけ大騒ぎをして、しばらくすると忘れてしまい、また同じことが起きる。
そのたびに、二度とこのような事が起きないよう十分に注意します、
ということで済ますことになるだけである。
「子供の特権」ということについて、真剣な議論が必要な時に来ていると思う。