2014年4月24日木曜日

中国の「船舶差し押さえ問題」が、40億円の支払いで、解決を見た。

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「新華社によると、上海の裁判は1989年に審理が始まり、問題の複雑さや戦時の問題であることから20年以上にわたって続いた」(ロイターの記事より)訴訟で、4月19日に、中国の裁判所による差し押さえがあった商船三井の輸送船問題が、会社側が、供託金の40億円を支払ったことで、一応の解決を見たようである。
東京新聞の記事が、

【日中戦争が始まる前後の船舶賃貸契約をめぐる賠償請求訴訟に絡み、中国の裁判所に輸送船を差し押さえられた商船三井が、裁判所の決定に基づいて40億円強の供託金を中国側に支払ったことが24日、分かった】

と伝えた。(2014/4/24 08:48 の記事)

1989年に始まった、この裁判で起きた、4月19日の裁判所による、差し押さえ問題は、実に25年ぶりに、これで一応の決着を見たこと、になった。

だが、この記事は、速報(?)なので、そこまで踏み込んではいないが、これですべてが解決した訳ではない、と思われる。

4月23日のロイター電が、この事のついて、詳しく報じている。

ロイター電は、『焦点:中国の商船三井船差し押さえ、戦後補償「先例」にも』と言うタイトルで、以下のように伝えた。


同国の対日賠償訴訟で指導的な立場にある活動家の童増氏は、現在裁判所で係争中だったり、今後申し立て予定の事案が少なくとも10件あるほか、他にも多くの問題が控えていると指摘。商船三井との訴訟で原告企業を支援した同氏は22日、ロイターに「これは始まりにすぎない」と語った。

中国民間対日賠償請求連合会の会長も務める童氏は「北京の訴訟に続き、今回は差し押さえだ。多くの被害者が法的な武器を取ることになるのは確実だ」と話した

これは、今後も、これと同様の問題が起きる可能性を、示唆している。

また、この記事は、日本政府の従来に立場については、

日本でもこれまでに、日本政府や企業を相手に多くの戦時賠償を求める裁判が起こされてきたが、そのほとんどすべてで請求が棄却された。
日本政府は、戦後補償問題が1951年のサンフランシスコ平和条約で決着済みとの立場を取る。また、中国に関する全ての戦後補償についても、1972年の日中共同声明で解決したとしている
と、記事に書いている。
一方では、

重慶の西南政法大学で国際法を専門にする潘国平教授は、「ギリシャとイタリア両国は2007年前後に、自国民が関係するドイツで戦時強制労働について裁判を行い、自国内で判断を下した」と説明。「国際法では、国は政府や国家の行為に責任を持つが、それは個人資産を含む事案とは別物だ」と話
した、いうことも伝えた。潘国平教授は、「個人資産を含む事案とは別物」と言うが、果たして、この論理が、当の中国の国民に「通用」するか、どうかは、「別物」である、と思う。
そしてこの事こそが、問題の本質であろう。
何故、日中両政府の合意にもかかわらず、中国の国民が、このような訴訟を起こし、中国の裁判所が、その訴文を受け付け、このような判決を言い渡し、商船三井に対し、差し押さえまでした、のかである。
中国政府の二重外交の欺瞞性を言い立てるのは、簡単な事ではあるが、それだけでは問題が解決しないであろう。
また、安易に、商船三井が、40億円を支払って、解決した、事は、問題を残すことになった、と思う。

政府の対応も、問題がある。
何故、もっと速やかに、商船三井に対し、しっかりとサポートをしなかったのか。

これは、明らかに中国の政府による、安倍政権への「ゆさぶり」である、と思う。
菅官房長官が遺憾の意を表明するだけで、ほかには何もしないうちの出来事である。
また、中国政府が、オバマ大統領の訪日に合わせて、このような態度に出たことも、看過できないことであろう。
                     (参考にしたサイト)
東京新聞の記事
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014042401000820.html
ロイターの記事
http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTYEA3M03120140423?pageNumber=3&virtualBrandChannel=0