2013年11月10日日曜日

いつから日本は偽装社会に成り果てたか

姉歯秀次の構造計算書偽造問題があったのが、2005年でした。

船場吉兆の「消費/賞味期限切れの菓子・惣菜の販売」 「地鶏の産地偽装」 「客の食べ残しの再提供」が明らかにされたのが、2007年の事です。


それから、まだ6年ほどしかたっていません。

そして、最近次々に明らかにされるホテルなどによる「呉表記」(とマスコミが書く)事件です。

一体、日本の国はどうなってしまったのでしょうか。
どこで歯車が狂ったのでしょうか。

思えば、1990年に始まったバブル崩壊によってあきらかになった「高級官僚の能力の偽装」の露呈に始まった、日本社会の構造的腐食はその後神戸震災、東北震災、それに伴う東電の原発事故と続き、この度の偽装事件へとつながっている、という気がします。

この一連の動きは、いまや日本の中枢が崩壊の危機にあることを示していると思います。
いやそうではなく、すでに崩壊してしまっていると見る方が、正しい見方であるのかもしれません。

それほどにまで、危機的な状況に思えます。

PL法では、今回の事件は裁けません。だから「誤表記」だといえば許されることでしょうか。

これが例えば電気製品の説明書であったとしたらどうなる事になるでしょうか。
「誤表記でした」で済むことでしょうか。

明らかに、買った人は返品を申し出るでしょう。
もし有名メーカーの物であれば、精神的な苦痛を受けたと言って、損害賠償を請求されかねません。

また、釈明の仕方も問題です。

ロブスターと伊勢海老を間違えるでしょうか。
まして、一流ホテルの料理人といえば、「プロ中のプロ」と言われる人です。

とてものこと、そのまま信じることは出来ません。
何故正直に、「ウソでした。悪い事と知りながら、もけるためにやむを得ずしました」と言えなかったのでしょうか。

間違いは誰にでもあることです。例外はない、と言ってよいでしょう。
問題は間違いと解った時、どういう対処をするかです。

対処の仕方の問題です。
それ如何によっては、かえって信頼を得るということもあるのです。

そこでまた誤魔化すと、二重の裏切りになり、信頼の回復は到底見込めなくなります。
すぐには表面に出てこなくても、少しづつ、影響が出てくることになるでしょう。

例えば、ある会社が泥棒に入られたとします。
泥棒は、会社の有り金をすべて奪っていった。

これだけならいいのですが、商売につながる信用状や、契約書、掛売り帳まで持っていってしまった、となったらどうでしょう。

お金は銀行などにたのべば、当面は何とかなるでしょう。
しかし、商売上の書類がなければ、やがては商売そのものがじり貧になっていかざるを得ません。

「誤表記」でしたと言い訳をしたホテルなどに来る客は、今後は、常に疑問をもちながら、食事をとることになるでしょう。

そんな食事がおいしいはずがありません。楽しいものであるはずもないでしょう。
第一、そんなホテルに自分の大切な人を連れて行こうとするでしょうか。

私なら、行きません。
そんなことをするぐらいなら、はじめから「屋台の店」とかに、行きます。(「屋台の店」が質が落ちると言うことではないので、悪しからず)

その場を取り繕うことをしなければ、信頼を回復できるチャンスを持てたのに、もうだめでしょう。

人間、疑いだしたら、キリがありません。
ですから、やがては廃業に追い込まれることになるでしょう。

掲げたテーマが大きすぎて、こんな記事名なってしまいました。
お前の記事こそ、偽装だと言われそうです。

よって、ここに弁解を書いておきます。
どうもテーマが大きすぎました。一本に記事で書けるような課題ではありませんでした。
今気づきました。

今後、何回かに分けて、取り上げていきたいと思います。

(2013-11-10  20:27:22 )